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2021年04月06日13:00

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「みほとけのキセキ」〜遠州・三河の寺宝展 (その2)

(続き)

◆時代による変遷

1)平安時代中期=10世紀

・一木造り
8〜9世紀の初頭以降の主たる木彫方法。1本の木材から頭と体を彫り出す。(脇手や頭上面は別材でも一木造りとする。)
乾燥・収縮が木材の部位によって異なるため干割れし易いという難点がある。

・翻波式衣文
大きな波と小さな波を交互に繰り返すような衣の皺模様。
8〜9世紀の一木造り像に多い。

本展の例
摩訶耶寺(浜松市北区)千手観音菩薩立像/重要文化財
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… カヤと思われる木を使った一木造り。刳り抜きしていないため、大変に重い。その事で古い時代のものだと分かる。

京都での修復(87年振り)の過程で、左手、下から2番目の掌に墨で目が描き込んであるのが発見された。
以下、3/17中日新聞朝刊記事参。
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千手観音は千手千眼菩薩とも呼ばれる通り、千もの掌の目で苦悩する人を見つけ、手を差し伸べて救うと言われる。
全ての掌に1つずつ目が描き込まれるのが本来らしいが、他は塗装と伴に擦り消えてしまったのか。

2)平安時代後期=12世紀

・一木割矧(わりはぎ)造り〜寄木造り
1本の木から頭・体を彫り出し、一旦材料を割って、中身を刳り抜いたあとに再びくっつける。
最初から複数の木材を組み合わせるのは寄木造り。11世紀に開発された。
多人数で分担できるため、制作効率が良い。早く仕上げられる。
一木造りではそれ程大きなものは造れないが、寄木造りなら可能。
 ex.東大寺南大門の金剛力士像
干割れがしにくいという特長もある。

・定朝様式
仏師定朝が編み出した様式で貴族に好まれ、大流行した。平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像が起源。
穏やかな表情。細かく粒立った髪の毛。浅く流れるような彫り。平坦な体つき。横から見ると、胴体が細く平坦。

本展の例
普門寺(豊橋市)の釈迦如来坐像/重要文化財
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肉髻, 螺髪,白毫,衣等、定朝様式の如来の典型的な姿。
但し、肉髻珠なし。

余談だが、阿弥陀如来像か釈迦如来像かを見分けるのはなかなか難しい。
阿弥陀如来は、人の臨終時に極楽浄土へ迎えに来てくれる役割なので、手の形は、立像の場合「来迎印」。両手共に親指と人指し指でOKの形をとり、右手を肘から上げ、左手は下に下げている。
坐像の場合は、その形のままお腹の前で両手を組み合わせる「阿弥陀定印」。

釈迦如来の方は、両手共に掌を広げている。立像の場合、肘から上げた右手が「施無畏印」、下げた左手が「与願印」。右手は畏れる必要はないのだよと示し、左手は人々の願いを聞き入れようという意味を持つ。
坐像の場合は、その形のまま腹の前で両手を重ねると、親指と掌の間に空間ができる「禅定印」を結ぶ例が多いが、上の写真の像では、両手共に立像スタイルのままである。

これ以外、阿弥陀如来と釈迦如来は、形状も衣服も変わりない。
脇侍がいる時は、阿弥陀如来は勢至菩薩と観音菩薩、釈迦如来は文殊菩薩と普賢菩薩を従えているが、単独の例も多い。

3)鎌倉時代=13世紀

・動的な肢体、衣装
・写実性、玉眼
戦いの時代を経験し、本当に救ってくれるような仏像を人々は求めるようになった。
水晶をはめる事で、眼が生きているように見える。
最古の玉眼仏は、奈良の山の辺の道(現 天理市)にある長岳寺の阿弥陀三尊。胎内に1151(仁平元)年の墨書あり。
これらの性格は、慶派により、鎌倉時代に拡がった。

本展の例
応賀寺(湖西市)の毘沙門天立像
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玉眼を入れた事でリアルさが増している。
強調された怒りの表情。
躍動感のある力強い姿。
像高41.5cmと小さいが寄木造り。

・裸形着装
裸の木彫像に本物の着物を着せるという方法で造られた。当時の人々には、本当に生きているように見えたろう。
裸形着装像は全国に50体程の例しかない。

岩水寺(浜松市浜北区)の地蔵菩薩立像/重要文化財
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秘仏のため、本像は当展に来ていない。その像内納入品(横笛,蝙蝠扇,運覚造像記,結縁交名)のみ展示あり。全て重要文化財。
上のモノクロ写真は図録から取り込んだもの。ネット上を探しても画像は見つからない。徹底した秘仏の扱いである。
納入品調査によって、慶派の運覚(旧名 円慶)か京の六波羅蜜寺で造った事が分かった。

4)南北朝時代=14世紀

・俯きかげんの姿勢と目線
・箱を積んだような四角い頭と身体
・うねるように複雑に折り重なる衣
・院派仏師による制作

本展の例
方広寺(浜松市北区)の釈迦三尊/3点共重要文化財
内 釈迦如来坐像
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胎内に院吉,院広,院遵が1352(観応3)年に制作したとの刻あり。
先に書いた通り、通例、釈迦如来は髷を作らず、装飾物も身に付けていないが、これは高く上げた髷に宝冠を被っていて、非常に珍しい。釈迦の皇太子時代の姿(つまり悟りに到達する前)とも考えられている。
両手は、前述した「禅定印」を結ぶ。
脇侍も全く同じ様式の文殊菩薩坐像と普賢菩薩坐像。前者は象に、後者は獅子に乗っているのだが、本展には象も獅子も来ていない。
古くは茨城県城里町の清音寺に祀られていたらしく、水戸光圀が1690(元禄3)年に修復させたと像背面に記されている。
1881(明治14)年の大火で方広寺本堂が消失、その後1903(明治36)年に新築された際に茨城から移されたとの事だ。


(続く)
 
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