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2011年08月22日01:28

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ルーシー・リー回顧展図録から

ルーシー・リーの回顧展は、昨2010年4月から国立新美術館を皮切りに、今年の6月迄、全国6ヶ所で開かれた。ほんのつい先頃迄催されていた訳だ。
彼女が脳梗塞で倒れ、記憶の殆どを失ったのは1990年。その5年後、1995年に、93歳で他界している。
亡くなったのは、彼女が工房兼自宅としたロンドンのアルビオン・ミューズ18番地。
ユダヤ系であるルーシーが、ナチの迫害から逃れ、オーストリアからイギリスに渡ったのが1938年(36歳)。アルビオン・ミューズに居を設けたのが翌1939年だから、57年間彼女は同じ居に暮し、同じ工房で仕事をし続けた事になる。
この事は、彼女の仕事と作品を思う時、象徴的で特徴的である気がする。
しかし、思い付きの軽い発言は慎むべきだろう、ルーシー・リーの芸術に対する研究と理解は、まだまだこれからである。

前述した回顧展に、残念ながら私は行けなかった。
リーの作品は、今年4月から6月にかけて開かれたハンス・コパー展(静岡市美術館)で併行展示された20点程と、2人の共作数点にまみえたのみである。
しかし、彼女の作品は、私の心の何処かにしっとりと触れた。
(*)ハンス・コパー展については、以下参;http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1729606382&owner_id=3341406

今回、文芸大の友人が、リー回顧展の図録を貸してくれた。全300ページ強の厚いもので、勿論展示された約250点の美しい図像も掲載されている。
写真以外に、下で部分的に紹介するリー論幾つかと、関連年表にページが割かれている。
リー論を読むと、ロンドンに来た当初、バーナード・リーチとの関係に触れた部分はあっても、その他は、形態の変遷と分類に留まっている。彼女は多くの作品を遺したが、多弁な人ではなかったようだ。図録を通読して、語らぬ彼女の内側に迄入り込んだ研究は、まだまだこれからだという印象を持った。
1995年に亡くなったという事は、まだ没後16年の時間しか経っていないのだから、尤もではある。
リーより18歳も年下だった筈のハンス・コパーは、リーの先、1981年に、側索硬化症(ALS)で他界している。
リーの工房で作陶をスタートさせたコパーは、何度も2人の共同展を開いた。2人の関係からリーを読み解くのも、これからの研究を待たねばならない。

大阪市立東洋陶磁器美術館長の出川哲郎の『ルーシー・リーの現代性』で主張されている、リーと波動力学の関係等、実証性に欠けて無闇に信じる訳にいかないが、彼女が「いつでも昔作った作品を再演して見せた」というささやかな伝聞は、極めて興味深い。
ルーシーは生涯に亘り、その手法と形態と色を、あらゆる展開の組合せで汲み尽くした。東京国立近代美術館工芸家主任研究員の北村仁美は『ウィーンからロンドンへ〜ルーシー・リー、連鎖する創造』で、「各種の装飾法と釉薬の実験の成果がさまざまに組み合わされることによって、無限とも言えるヴァリエーションが生み出されている」と言っている。
生涯において時間を置き何度も繰り返し同類形状の作品を作ったリーだが、しかし、それぞれに異なる意匠が込められており、それぞれが奇跡のような完成度を示している。
コパーはより抽象に迫ろうとしたが、リーは「私はただの陶芸家(potter)」と自らを称した。


(*)写真は、図録の関連年表から拾ったもの。「窯出しするルーシーを支えるハンス・コパー、1958年頃」と添えられている。実にいい写真だ。2人の信頼関係の深さを物語っている。
 
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