7/29(水)NHK-BS放送の『パリ・オペラ座 夢のとびら~エトワールの迷宮探訪』の録画を観る。
下の写真は、パリ市9区にあるオペラ座通り突き当りに見えるオペラ座正面。
ここに本拠地を構えるのが、世界最古のバレエ団「パリ・オペラ座バレエ」。
日本人として初めてその最高位「エトワール」になったオニール・八菜(はな)(1933/東京出身)その他がパリ・オペラ座「ガルニエ宮」を案内する。
八菜本人については、以下レポートを参照頂けたらありがたい。
「パリオペラ座バレエ・エトワール オニール八菜」(2025.2.17記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1989423785&owner_id=3341406&from=list_diary_search
19世紀の建設以来世界最高峰の舞台芸術を積み上げてきた「ガルニエ宮」はフランス ネオ・バロック様式の傑作。
同宮にあると言われる扉の数は2500。今回の番組タイトルは、その扉を次々開けて中を見ていくという趣向を表している。
設計者達が知恵を振り絞った跡が多々見られ、一般には公開されていない空間もある。
パリ・オペラ座は、1875年、皇帝ナポレオン3世の命により建造された。
設計者は、公募で選ばれたシャルル・ガルニエ(1825-98)。当時まだ35歳で無名の建築家だった。
パリ・オペラ座を「ガルニエ宮」と呼ぶのは、言う迄もなく彼の名から来ている。
建築費用は3,600万フラン。今の価値で1000億円以上と言われる。
オニール八菜が最初に案内したのは、正面ファサード屋上、丸屋根の部屋。クラシック・バレエを確立した振付家の名を取って「マリウス・プティパ」と呼ばれる専属ダンサー用の練習場だ。
入ると、アーチを描く天井の骨組みが露わになっている。
この骨組みは鉄製で、この鉄骨こそがバレエの殿堂を作りだす秘密の一つになっている。
ガルニエはオペラ座を造る際、エッフェル塔(完成1889)が使った最先端の鉄骨技術を採り入れた。
オペラ座に使われた鉄骨の量は何とエッフェル塔4本分、凡そ3万3千t。
一体どこにそれ程の鉄骨を使用したのか?
その答えは、19世紀の貴族やブルジョワのために造られたボックス席。
ボックス席個別の後ろの扉を開けて入ると、手摺りの向うに巨大な空間が拡がっている。
高さ20mの場内を4層80のボックス席が取り囲んでいる。
席は、ボックス席平土間含め凡そ2,160。当時ヨーロッパ最大を誇った。
頑丈な鉄骨でその骨組みを造った事で、視界を遮る柱をなくし、ひとつながりの馬蹄形大空間を可能にした。
天井にはシャガールの《天井画》が設えられている。
ダンサー達の練習場「マリウス・プティパ」は、シャガールの《天井画》の上にある構造だ。
パリ・オペラ座バレエ団は、現在凡そ150人で、経験と実力に応じたピラミッド型の階級制によっている。
上から、「エトワール」「プルミエ・ダンス―ル」「スジェ」「コリフェ」「カドリーユ」。厳しい昇進試験を経てそのピラミッドを上がっていく。
頂点「エトワール」は2026年6月現在、14人。
オニール八菜は2011年に入団。12年を経て、2023年3月、エトワールに任命された。
オペラ座付属のバレエ学校出身でないダンサーがエトワールに選ばれるのは極く稀な事だ。
練習場「マリウス・プティパ」の下の階には、エトワールなど限られたダンサーにだけ与えられる専用の部屋が並ぶ。
八菜の専用室もここにある。その部屋は、彼女の前、アリス・ルナヴァン(2022年引退)というエトワールが使っていた。
エトワール専用室に入る前のダンサーらは「コール・ド・バレエ(集団)」の部屋に入る。
バレエの始まりはイタリア・ルネサンス期の宮廷舞踊。社交ダンスのようなものだったと言われる。
これを芸術の域に迄引き上げたのが、フランス国王ルイ14世(1638-1715)で、1661年に王立舞踊アカデミーを設立した。これがパリ国立バレエの源流。ここでダンサーという職業が生まれ、総合芸術として発展した。
そして、その文化的象徴と言えるのが「グラン・フォワイエ」。
舞台を観る前や、幕間に歓談する社交の場だ。
金の装飾、ポール・ボードリーによる33枚の天井画、類を見ない華麗な大広間である。
落成の時、ナポレオン3世夫人が尋ねた、「この様式は何ですか?様式自体がないようですが…」。
ガルニエは即座に答えた、「これはナポレオン3世様式です。お気に召しましたでしょうか」。
ガルニエらしい当意即妙の応答だった。
(続く)
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