今日8/19(水)、NHK総合の「列島ニュース」で、広島局からの興味深いニュースが紹介された。
現在の「原爆ドーム」の被爆前のフィルム動画が発見されたとの事。
撮影者は当時大阪在住で自転車卸売業を営んでいた阿部金市さん(1896/明治29年生まれ)。全国の名勝を撮影するのを趣味にしていた。彼が撮った尾道や宮島のフィルムの中に5秒ばかり、被爆前の「原爆ドーム」とその周辺が写っていた。
以下、その部分カット。
旧太田川の土手上を散歩している人達や、(貸し)ボートをのんびりと漕いでいる人などが写っている。
「原爆ドーム」は被爆時「広島県産業奨励館」という名の建物だった事は、先日の原爆関連レポート「NHKスペシャル『原爆投下10秒の衝撃』」1998)� 廖�
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1992655632&owner_id=3341406&from=list_diary_title (2026.8.10)、「同�◆�
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1992661008&owner_id=3341406&from=list_diary_title(2026.8.11)でも書いた。
但し竣工当初から「広島県産業奨励館」だった訳ではない。
1915(大正4)年に開館した時の名称は「広島県物産陳列館」。
その後1921(大正10)年に「広島県商品陳列所」と改称。
更に1933(昭和8)年に「広島県産業推奨館」になり、1945(昭和20)年8/6、この頭上567mで原爆が炸裂したのである。
このフィルム動画が発見されて、まず解明しなければならなかったのは、いつ撮影されたものだったかである。フィルムにデータは付いていなかった。
名前は3度変わっているが、建物自体は被爆する迄同じものである。
原爆ドームに詳しい歴史家は、動画の存在が極めて稀で、短いにもかかわらず情報が詰まっており価値が高いものと実感した。
先ずは、時代特定のため、1928(昭和3年)頃撮影されて残っていた写真史料と比較してみた。旧太田川の土手に植えられていた並木と、川縁りに設けられたボート小屋、その階段などに着目。並木とボート小屋の位置関係、樹木個別の大きさにおいて、動画と写真の間に差はなく、時間的には近いと推定された。
また、建物の左奥に見える旧太田川に架かった相生橋だが、橋脚をアップしてよく見ると、奥の鉄道用のそれ、手前の車人用のそれが別々に見える。
この橋は1932(昭和7)年に架け替えられ、両用途併用の1本橋になっている。
という事は、この動画は1931(昭和6)以前に撮られたものという理屈になる。
もう一つ注目すべきは、建物に掛けられた白い布の垂れ幕である。
文字は「大廉賣」と読めそうだ。
おそらく、一時的なイベントセールとして、特売が企画されたのだろう。
別の歴史史料の1931(昭和6)年10/10の項目に「広島鯉城購買組合日用百貨大廉売」という文字があった。「鯉城(りじょう)」とは広島城の愛称である。これが広島カープの言われとなった。
同日の中国新聞の記事には、その廉売の内容として、「スリッパ(二足)五銭」とか「石鹸(三個)十銭」とかの文字がある。
垂れ幕の「大廉売」がこれだとすれば、このフィルム動画は1931年(昭和6)年に撮られた事になる。
この時期原爆ドームは「広島県商品陳列所」と呼ばれていた。
写真は相生橋から下流左岸にある「広島県商品陳列所」を眺めたもの。
こちらは同じく現在の原爆ドーム。
1933(昭和8)年に「広島県産業奨励館」となってからは国策的な役割を担うようになったが、それ以前は広島市民の日常の営みに近い施設であった事が、垂れ幕や新聞記事から推測されるのである。
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