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2026年08月07日11:00

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「”カフェ”に集う芸術家」/三菱一号館美術館��/end

(続き)

一方のシャ・ノワールは、ロドルフ・サリスが1881年に造ったカフェ(キャバレー)で、誰も知る通りエドガー・アラン・ポーの短編小説から名をとった。
演劇、詩の朗読、絵画展示といった芸術活動を前面に押し出していた。ここでは、前述のように画家リヴィエールが考案した影絵芝居の公演もしており、ナビ派はこれに影響を受けたと言われる。

フェリックス・ヴァロットン《大騒ぎ、あるいはカフェの情景》(1892)。
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賭けトランプに負けた男が相手に掴みかかり、カフェの中が騒然としている。
ヴァロットンはそれをあくまで冷静な目で見て絵にしている。

シャ・ノワールの影絵芝居の各地公演のポスターをテオフィル・アレクサンドル・スタンランがリトグラフによりアール・ヌーヴォースタイルで描いたもの。
各地で公演する程、人気を博したのだ。
《シャ・ノワール巡業公演》(1896)
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このポスターは人気を得て、スタンランはアール・ヌーヴォーを代表するデザイナーとなった。
作曲家のエリック・サティ(1866-1925)は1887年からシャ・ノワールで、客の歌の伴奏をして生活資金を稼いでいた事がある。
参)「エリック・サティとその時代展」/浜松市美術館」(2015.9.27記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946461208&owner_id=3341406&from=list_diary_search

照明がガラスに反射して出来の悪い写真になってしまった。

1900年に初めてパリにやってきたピカソは、ドガ、ルノワール、ロートレックらの影響を受けながら制作を再開。
同年に描いた《カンカン》(上)は、ロートレックの《エグランティーヌ嬢一座》(1896/下)にそっくりだ。

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ロートレックはリトグラフ、ピカソはパステル。
ロートレックの女性達の踊りは軽くシンクロしてリズム感があるが、ピカソの方は重く、脚もバラバラ。
展示作品の中で、このあとピカソが描いたのは油彩の《酒場の二人の女》(1902)。日本初公開。
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テーブルの真ん中に空のグラス、2人の女は背中を見せ、黙りこくって椅子に座っている。
これは色といい心情といい、すっかり「青の時代」だ。
ピカソが青の時代へと入ったターニングポイントの作品の一つだと考えていいだろう。
ピカソの親友カルロス・カサヘマスのピストル自殺は1901年2/17。

次も日本初公開作品。
カザスがリーダーを務めていたバルセロナの芸術家グループ「クアトラ・ガッツ」のメンバーだったルシニョルの《カフェ・デ・ザンコエラン》(1889-90)。
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“incoherent”はフランス語、支離滅裂とかまとまりのないとかの意味。
ルシニョルとカザスが通ったカフェの内部と人々を描いている。
テーブルとカウンターが極端な遠近法効果を見せ、男女があちこちばらばらに座り、また立っている。左端で半分に断ち切れた人もいる。
アンニュイな雰囲気が漂い、中央に座る男が吐いて漂う煙草の煙がそれを強調する。
どこかドガやロートレックの影響を感じる。

興味深い切り口の展覧会で、なるほどと感心するところが多々あった。

順序が逆になったが、最後に本展の章構成を列記しておく。
◆Chapter 1「カフェを描く~レアリスムから印象派へ
・Section 1「近代絵画の誕生とカフェ」11点
・Section 2「メディアとしての版画の隆盛とカフェ」19点

◆Chapter 2「夜のカフェ~シェレ、ロートレックの世紀末」
・Section 1「広告芸術に現れるカフェ~シェレのポスター」16点
・Section 2「ロートレックとカフェ~ムーラン・ルージュとモンマルトル界隈」43点

◆Chapter 3「シャ・ノワールの登場とその後の展開~パリとバルセロナの往還」
・Section 1「”パリの頭脳”と呼ばれたシャ・ノワールとその影響」24点
・Section 2「シャ・ノワールからクアトラ・ガッツへ」8点
・Section 3「クアトラ・ガッツからピカソ、そしてモンパルナスへ」13点
展示合計134点


以上で、7/29~30の上京で「聴いたもの」「観たもの」についてのレポートを終える事とします。
長いレポートをお読み頂きまして、ありがとうございました。
 
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