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2026年08月06日11:00

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「”カフェ”に集う芸術家」/三菱一号館美術館��

上京2日目は庭園美術館のルーシー・リー展のあと、三菱一号館美術館で「”カフェ”に集う芸術家」なる展覧会を観た。

フォト

・会期 6/13~9/23
ひろしま美術館に巡回する。

一風変わったタイトルである。まず展覧会の狙いを確認しておこう。

19世紀後半のパリ、マネやのちに印象派と呼ばれる事になる人達、更にはゴッホ、ロートレック、ピカソに至る芸術家は、カフェに集い大いに議論しあった。
現代のカフェは静かにコーヒーを飲んで寛ぐ場だが、当時のカフェ(広義の)(*1)は、飲食や娯楽を楽しむだけではなく、芸術な会話や議論が生まれる場所でもあった。
視野を広げると、それは芸術がサロン(官展)から脱却し、群衆に溶け込んでいく新しい時代の始まりであったとも言える。

(*1)広義のカフェ
・カフェ;酒も含めて飲食する事ができる場所。
・ガンゲット;酒を含む飲食に加え、客が参加して踊る場所。
・カフェ=コンセール;酒を含む飲食に加え、演者による大衆的な歌や場を盛り上げるトークが聞ける場所。
・キャバレー;カフェ=コンセールから派生し、芸術的な活動が展開されるようになった場所。シャ・ノワールがそのスタートで、詩の朗読、演劇、絵の展示、影絵芝居といった芸術的な活動を前面に押し出した。

国籍超えて芸術家が集まったモンマルトルの「シャ・ノワール(黒猫)」を真似て、スペインのカタルーニャ州では、1897年、同地出身の画家カザスが州都バルセロナに「クアトラ・ガッツ(4匹の猫)」(*2)を開店した。そこには若いピカソも通った。)
ピカソは1900年に初めてパリに出るが、カフェを舞台にカザスやロートレックが描いた悦楽や孤独に影響を受け、社会の底辺に生きる人々への眼差しは「青の時代」へと向かう事となる。

また、若いモネやルノワール達は、マネを慕ってモンマルトルの「カフェ・ゲルボワ」に集まり、のちここから印象主義が生まれる事となる。
総合芸術の実験場とも言えた「シャ・ノワール」では、画家リヴィエールによる影絵芝居が人気を博し、平面的なシルエットや色彩は、ボナールやヴァロットンら未来のナビ派達に影響を与えた。
ロートレックは「ムーラン・ルージュ」や「カフェ=コンセール」の常連となり、彼がダンサーや歌手らを描いたポスターは市井で大いに注目された。
彼と同じ画塾で学んだゴッホは、歓楽街の熱狂に入り浸る事はなかったが、モンマルトルで同じ芸術潮流に身を置いていた。
パリ大改造後のカフェでは、芸術家や文化人が活発に議論し、新しい芸術表現の芽が次々出てきた。異質なものが混じり合う場でこそ、新たな芸術は産声をあげ、花開く。

本展は、教科書では教えない重要なアートシーンとして、19世紀のカフェを再考する。
大変に面白い切り口の展覧会である。

(*2)「クアトラ・ガッツ」;カフェの名であると同時に、19世紀末の芸術家集団の名前でもあった。メンバーはカザス、ルシニョル、ウトリーリョ、ロメウの4人(クワトラ)。
そのリーダーであるカザスは、バルセロナの芸術運動「ムダルニズマ」を広めた。
ムダルニズマとはカタルーニャ語のモダニズムである。それはアールヌーヴォーの影響を受けた芸術様式で、ガウディもその傾向下にあった。

ムンサラット美術館が所蔵するラモン・ガザスの代表作にしてバルセロナの至宝とも言われる《マドレーヌ》(1892)が、35年ぶりに来日した。
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本展のチラシにもこの図像が使用されている。

モンマルトルの丘の上に建つカフェでダンスホールも持つ「ムーラン・ド・ラ・ガレット」(*3)、その壁際に座っている女性はマドレーヌ・ド・ボアギヨーム、ロートレックも彼女をモデルに使った事がある。
彼女は、画家の目を逸らして、おそらく店の入り口の方を気にかけている。約束のある人物がやって来るのを待っているような表情だ。テーブルの上にはビールかワインがグラスいっぱいになっている。下ろした右手は火の点いたタバコを持っている。お針子の物語ができそうだ。
顏の後ろは大きな鏡張りで、大勢の客達と店の入り口が見える。この構造はマネの最後の代表作《フォリー・ベルジェールのバー》(1882)によく似ている。
カザスはこれを描いた時期、バルセロナやってきたばかりで、実は同じクアトラ・ガッツメンバーのルシニョルとムーラン・ド・ラ・ガレットに部屋を間借りして住んでいたのである。

(*3)ルノワールの名画《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》(1876)を想い起す人も多いだろう。

《マドレーヌ》より6年前にゴッホが描いた《モンマルトルの風車》(1886)。
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ゴッホはこの年、パリに来て弟テオの住むモンマルトルの家で暮らし始めたばかり。
昼の明るいムーラン・ド・ラ・ガレットの外観を裏手から描いた。

1890年近くになると、ムーラン・ド・ラ・ガレットは客層が変わり、娼婦も歩く界隈となった。

(続く)
 
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