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2026年03月20日20:30

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「NHKアカデミア」中村獅童(前編)

3.10(火)と17(火)に放送したNHK-Eテレ「NHKアカデミア」(前・後編)は、歌舞伎俳優 二代目中村獅童。
以下、「 」内は獅童が語った言葉、多少意訳や省略もあるが。

「"獅童"というのは、僕の父が子役だった時の名前。二代目と言っても、父は子役で歌舞伎を辞めてしまった。それを継いだだけなので、歌舞伎界になくてはならない名前ではない、なくてもいいくらいの名前。」

親から子へと受け継がれる歌舞伎の世界で、名女形の祖父(三代目中村時蔵)を持ちながらも、父は既に歌舞伎俳優を廃業。8歳で初舞台を踏んだものの端役しか回ってこない。獅童は、後ろ盾のない、孤立した役者人生を歩む事になる。
「"親"がいないのは首がないのと同じ。私は19歳の時、世襲制の世界だから歌舞伎で主役を取っていくのは難しいよ、とはっきり言われた。」

誰にそう言われたかは言わなかったが、それでも歌舞伎を続けた訳とは?
「少年時代は、歌舞伎が好きなのに、学校の友達に歌舞伎をやっている事がバレたらいやだという自分がいて、歌舞伎は子供や若い人には分かってもらえないものと決めつけていた。
世の中はバンドブーム。学校の友達の多くはバンドをやっていた。僕も流行の波に乗ってバンドに入った。ロック音楽やバンドのファッションが好きだった。歌舞伎が万が一ダメだったらバンドもいいな、高校の時はそう思っていた。
19歳の時、大学の授業で鑑賞教室があり、歌舞伎を観にいった。生まれて初めてチケットを買った。関係者だから、チケットは買わなくとも脇などから見る事はできた。だが、その時は一学生として、他の仲間と一緒にチケットを買って観に行き、レポートを書いた。
実は、この経験が中村獅童の人生を大きく動かした。
その時、僕の隣にいたロック仲間の学生が、歌舞伎って超面白い、カッコいいって言った。カッコいいなんて、その世界で当たり前のように生きてきた者からすると、思った事もなかった。当時の若者の生の声を聞き、そんな風に思ってもらえるんだったら、こういう人達にもっと歌舞伎の魅力を拡げるような存在になりたい、そう思った。
ロック音楽やバンドファッションが好きだった中村獅童が、歌舞伎を観てレポートを書くうちに、自分が好きな要素は全部歌舞伎の中にあるんだって事に気づいた。時代を切り拓いていく"傾奇者(かぶきもの)"の精神のアナーキーな気質、ファッションリーダー的性格。日本人として誇りを持てる歌舞伎役者、主役を張れるような役者になって生きていこうと、その時思った。」

江戸時代、出雲阿国が始めた"かぶき踊り"が評判を取り、遊女や女芸人がまねをした。しかし、幕府から禁止され、"若衆歌舞伎と"なり、更に"野郎歌舞伎"へ。抑えられても、幾度も形を変えて残っていった庶民の芸能。その精神が獅童の胸を打った。

「傾奇者、今で言えばアナーキーでパンクな連中。時代を切り拓いていく開拓者精神、そして、反骨精神。江戸時代、ロックもパンクもなかったが、そうした精神の持ち主は歌舞伎役者になっていたかもしれない。
白塗りに隈取という化粧、今は歌舞伎の古典的な形態として当たり前だが、これを最初に見た人達は驚いたろう。
隈取は何を表現したものか? 力が漲って血管が浮び上がっている様子を誇張したもの。これを生みだした男達は、さあオレの事を見てくれっていう強い主張があったのに違いない。
ファッションも、ニュースを取り込む姿勢も、最先端を行こうという意志が強く窺える。」

例えば名作『女殺油地獄』、この演目は江戸時代に実際に起きた殺人事件に由来する。歌舞伎は話題になった事件をすぐ採り入れていった。
「初演時は事件が起きてすぐだから、クライマックスの殺しの場など、観客らは手に汗し、怖いもの見たさの気持ちで観たと思う。時代の最先端を行く、今迄人がやってない事をやる、これはリスクもあり、さぞかし疲れた事だろう。人と同じ事をやるのは楽だが、各座は競って新奇な演目と演出を行い、それが町人達の噂となって飛び交い、注目され、客を呼んだ。今は古典でも、最初からそうではなかった。
現代を生きる我々も、時代を切り拓いていく精神、時代を動かす精神、そういった挑戦する気持ちを忘れず、一度きりの人生を突っ走る、これが中村獅童の生き方だと思うし、本来の傾奇者の精神だ。」

時代を取り込み常に新しくなり続ける歌舞伎、その精神を受け継ぎ獅童が創りだしたのが、"超歌舞伎"。
共演者はバーチャルシンガー"初音ミク"。伝統芸能×サブカルチャーという驚くべき発想。
これは2016年に生まれ、現在迄続く人気演目に発展した。

さて、獅童が考える時代の最先端とは?
「この光るペンライトは、"萬屋〜"と掛け声が出るようになっている。(笑)」開発精神を発揮する獅童。
「超歌舞伎はお客様参加型の歌舞伎という事を大事にして作っている。
何故参加型がいいと思ったかと言うと、江戸時代の歌舞伎は多くが新作だし、庶民は今よりずっと自由に観ていたと思う。流行の最先端の演目、目当ての役者、ここぞという時にはペンライトはないにせよ屋号の掛け声をかける。江戸時代にバーチャルがもしあったら、当時の歌舞伎は早速用いていたのではないか。そう思って創ったのが超歌舞伎。
僕が若い頃のオタクは、家に籠って自分の好きな事だけに熱中するという人達の事を言っていたが、今のオタク達には、彼らが活躍できる場があり、超歌舞伎のバーチャルスター"初音ミク"のイベントやコンサートもそのひとつ。オタクの人達が大勢ホールに集まって時代を動かしている、そういう側面もあると気づき、魅力を感じた。
初音ミクとコラボレートしたヒット曲で《千本桜》というのがある。歌舞伎にも『義経千本桜』なる演目がある。三大名作狂言のひとつだ。
初音ミクと何度かコラボするうちに、現代の千本桜というものを創ってみたいと思い、超歌舞伎『今昔饗宴千本桜』ができた。」
「初音ミクはデジタルの人なので、生身の人間とは違い、全部プログラミングされている。決まったきっかけに決まったセリフを発する。絶対間違わない。こちらがタイミングを間違えると、ミクのセリフにかぶっちゃったりする。
最近は改良され、セリフも動きも歌舞伎の間合いになってきた。まあ多少ズレても、むしろそういうミクが最近では愛おしく思えるようになってきた。」

『御伽草子戀姿絵』(2021)
フォト


「ミクとの共演はデジタルとのコラボレートなので、我々側は古典歌舞伎の世界観をより大事にするようになった。というのは、こちらが生半可に新しくなってしまうと、コラボがかえってぼやけてしまう。コントラストを活かすためには、こちらはがっちりとした古典の枠組み、古典の約束事、歌舞伎のルール、そういった伝統的枠組みからはみでないようにしている。これ超歌舞伎の基本。
衣装も、狐忠信のそれは歌舞伎の伝統のまま、変に今風にしたりはしていない。お腹も少しぼってりとしているのが、スリムなミクとバランスが良い。忠信狐の衣装はできてもう数百年経っていると思うが、斬新な照明の中、この衣装が最新技術に負けない存在感を示すのが面白い。
歌舞伎は400年の歴史があると言われているが、200年前の人と現代を生きる人とで、生活スタイルは様変わりしているにも関わらず、同じ場面で泣いたり笑ったりする。
これからもっとデジタルが発達し、ますます便利な世の中になっていくと、圧倒的に減っていくのが人と人との触れ合いと想像力。スマホひとつでできる事が本当に多くなった。誰とも接する事なく生活できるような時代も遠からず来るかもしれない。都会にいるとどんどん高層ビルが建ち並び、夜景は素晴らしいかもしれないが、四季の変化を感ずる事は少なくなった。そこで、もっともっと重要視されていくべきだと思うのが、生身の人間が与える感動、人の温もり。
昔は効果音もデジタルはなかったから、雨の音、雪の音、自然現象の効果音は専ら大太鼓を使い、人の手で表現した。
本来、雪はしんしんと降るものなので音はしない筈だが、何故か歌舞伎では大太鼓の低い連続音で表す。想像力を働かせると、ああこれがしんしんと降る雪の情景なのだというイメージが湧いてくる。日本人の情感、日本の四季の美、昔の人も今の人も共感するものが歌舞伎の中には生きている。
インターネットでは味わえない感動、そうしたものを伝えていくのが自分達の仕事だと思う。」

ネットでつながった参加者の中から小学校3年生の質問。
僕は歌舞伎が大好き、歌舞伎や大河ドラマに出るのが夢。獅童さんはいつから歌舞伎役者になろうと思いましたか?そのために努力した事で、やってよかったと思う事は何ですか?
「歌舞伎役者になりたいと思ったのは、幼稚園の年長くらい。小1になって日本舞踊の稽古を始めた。初お目見えという形で舞台にちらっと出たのが小2。獅童の名前で出るようになったのが小3。
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昔は血筋、世襲制が強かったけど、時代がどんどん変わってきた。僕も変えていかなきゃって気持ちが強い。歌舞伎の家に生まれた人じゃなくても、実力があればどんどんいい役者になって活躍していける世界になって欲しいし、それが今や叶いつつある。夢を諦めずに、ずっと続けていって下さい。」

(後編へ続く)
 
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