(続き)
[アルル時代]
1888年2/19、パリを出て南仏アルルに向かう。翌日、アルル着。
アルルでは1年3ケ月暮らす。
フィンセントはアルルからサン=レミ滞在中に自分の表現様式を確立した。
同5/1、絵のモチーフともなった「黄色い家」を借りる。
《浜辺の漁船、サント=マリー=ド=ラ=メールにて》(1888.6)
アルルに居を定めたフィンセントは、1888年5/末〜6/始めにかけて小さな漁村サント=マリー=ド=ラ=メールを訪れた。
オランダ時代から海景画を手がけていたフィンセントにとって、地中海はかねてよりの憧れだった。
本作は現地でのスケッチを基にアルルで完成。スケッチには、あとで塗る色の名を書き加えてあって、当初から油彩で仕上げるつもりだった事が分かる。
大胆な遠近法、平面的な色彩は浮世絵からの影響が感じられる。
1888年10/23、ゴーガンとの共同生活開始。
《種まく人》(1888.11)
ゴーガンと共同生活最中の作品。色彩を面で表す表現に彼の影響が色濃く感じられるが、色面は平板でなく、独自の大胆な筆遣いと厚塗りが見られる。
バルビゾン派のミレーに憧れ、「種まく人」を自分でも描きたいと試行錯誤を繰り返した。秋の夕暮れの太陽は農民の後光のように配され、威厳を与えている。
また最前に樹木を配置するのは、浮世絵(歌川広重)の影響である。
1888年12/23、最初の激しい発作、左耳を切る。
[サン=レミ〜オーヴェール=シュル=オワーズ時代]
1889年5/8、アルル北東25km、サン=レミ=ド=プロヴァンスのサン=ポール=ド=モーザール療養院へ自ら入院する。
同7/中~8/末、発作を起こす。
1890年5/16、サン=レミを出る。
同5/17、パリで、弟テオが連れてきた妻ヨーとその息子ウィレム(0歳)に初めて会う。
フィンセントはウィレムの誕生祝いに《花咲くアーモンドの木の枝》を描いて贈った。
この作品は今回展示されていないが、幅14mに及ぶイマーシブコーナーのスクリーンで春の喜びを体験できる。
同5/20、パリの北50km、オーヴェール=シュル=オワーズに着く。
《農家》(1890.5~6)
オーヴェール=シュル=オワーズに移り住んだフィンセントは、2日後には早くも古い藁葺屋根の家の習作を開始。
テオへの手紙では、村の家々の美しさに触れ「オーヴェールは確かにとても美しい」「ここはとても色彩が豊かだ」と書いている。
田舎の農家や風景はオランダ時代から関心を持ち続けてきたモチーフだった。
庭にいる2人の人物と質素な小さな家が、素早い筆で描かれている。
1890年7/29、フィンセント、ピストルで自分の胸を撃つ。
同7/29、テオに看取られ、37歳で死去。
(続く)
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