【きょうのちょっと物思い】
6:3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。
6:4 わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
6:5 もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。
(ロマ書6章3節〜5節 聖書は新共同訳)
キリストに同化された者、キリストの活ける体の一部分となった者、その困苦(くるしみ)と歓喜(よろこび)と、その恥辱(はずかしめ)と栄光(さかえ)と、その死と復活とを、彼の内にあって彼と共に父なる神から分与された者、これがキリスト信者である。「信じる」とはこの場合においては知識的に是認することではない。また感情的に信頼することでもない。キリストを信じるとは彼の神格の内に私の人格を投入することである。そうして私をなき者として彼を私に代わって私の内に居させることである。これがすなわち信の極みであって、キリストは私たちにこのような信仰を要求なさるのである。キリストが神であり、霊の宇宙であり、私たちがその霊界の一部分となることができて、初めて私たちの聖化も満足に行われ、またキリストの光は私たちを通して世に顕(あら)われるのである。(感想)
(内村鑑三 『一日一生』5月31日の箇所)
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