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2017年07月16日23:27

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三浦綾子の言葉

「右の手のなすことを左の手に知らすな」(キリスト 新約聖書 マタイ6の3)

 これは、何かよいことをした場合のことであって、悪事をした時のことではない。しかしわ
たしたちは、自分が悪いことをした時は、何食わぬ顔で、それこそ「左手」にも知らせないが
善いことをした時は、自分から吹聴して歩く。

 それはなぜか、人にほめられたいからである。だが、わたしたちは人にほめられたいとねが
ってはならないのだ。いつも人にほめられることを期待するようでは、真に善いことは出来な
いからだ。 人にほめられることをねがうと、人目のつくところでは善いことをしても、かくれたところでは善いことをするのがばかばかしくなる。ほめられようが、ほめられまいが、それは人間としてなすべきことなら、しなければならぬ。 

誰が見ていなくても、神が見ておられる。たとえ、神が見ておられなくても、なすべき善行はなさねばならぬ。誤解されても、悪口を言われても、人間としてなさねばならぬことは世に多いのだから。


(三浦綾子『太陽はいつも雲の上に』)
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