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2026年05月03日11:00

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映画『砂丘』ミケランジェロ・アントニオーニ~2/end

(続き)

着いたのはデスヴァレー国立公園の展望台サブリスキーポイント(岬)。
今は高低のある砂漠が広がるここは、500〜1000万年前には湖底だった。地殻変動によって地上に押し出されたため、ホウ砂や塩の塊があちこちにある。
「ザブリスキーポイント」は、ここでホウ砂採掘を行っていたフィック・コースト・ボラックス・カンパニーの副社長クリスチャン・ザブリスキーに由来する。
マークとダリアの二人は崖を走り降り、元湖底に立つ。誰もいない広がる砂の世界は、陽の当たり方によって黄金色に輝き、物質文明や階級社会の呪縛を解くこの上ない自由の地のように思える。
ダリアはマリファナを吸う。
子供のように駆け回るうちに、マークとダリアは抱き合う事になる。
元湖底の高低の地形のあちこちで男女が裸で抱き合っているのが見える。その人数は次第に増えていく。この桃源郷のような光景は、ダリアの妄想か?

道路に戻ると、大型オートバイに乗ったハイウェイ・パトロールの警官がダリアに職務質問してきた。マークは物陰に隠れる。
警官はダリアの身体を舐め回すような視線を向け、カリフォルニアの大学で警官が一人撃ち殺された、と。
マークは拳銃を抜いて警官に狙いを定めたが、彼はオートバイに乗って去っていく。
ダリアは訊く、あなたが殺したの?
マークは、撃とうとしたのは確かだが、警官は誰かが先に撃って倒れた。自分は一発も撃っていない、そう事実を話した。

ダリアの運転で二人は出会った場所に戻った。
近くの小屋に住む男に声をかけ、ペンキを借り、三人でセスナ機をサイケデリックに塗りたくった。
ダリアは車で一緒に行こうと誘うが、マークは、勝手に借りたセスナを持ち主に礼を言って返したいと言い、操縦席に乗り込む。
ダリアはロサンジェルス方向へ飛んでいくセスナを笑顔で見送った。

飛行場では、盗まれたセスナが東からこちらに向かっているのを管制官が察知、4台のパトカーを隠して待ち伏せしていた。警察は、セスナを盗んだ学生が大学で警官を撃った犯人だと目星をつけていた。
マークはセスナを滑走路に着陸、パトカーに追われ向きを変えて逃げようとしたが、並走してきたパトカーの警官が一斉に射撃。
停止したセスナに警官らが慎重に近づくが、マークは操縦管に頭をもたせかけて動かない。

ダリアはフェニックスに向けて運転中、カーラジオから流れるニュースでマークの死を知る。

ようやく会議場のある、自然の岩を利用して建てられたホテルに着いたダリア。
プールでは如何にもブルジョワ風の女達が水遊びをしている。サニーデューンズの重役らの家族か。
屈託なく遊ぶ彼女達を見て、ダリアはマークを思い出し、彼の死を実感した。
岩間から零れ出る水しぶきに当ると、ダリアの頬には知らず涙が流れた。

アレン含むサニーデューンズの重役らと取引相手との協議がホテルの上階で行われていた。
取引相手はこの開発の欠点を指摘する、砂漠でどう水を確保するか、それが開発計画上で明らかになっていない、砂漠で水は金に等しい、と。
アレンらは、相手のこの反応をディールの一貫だと理解した、確かに水の確保は必須だが。
ダリアが階段を上がっていくと、アレンが彼女の姿を見つけて喜ぶ。
濡れたダリアに地階のアレンの部屋を教え、着替えをするように指示。
ダリアが階段を降りていくと、途中で、地階の部屋のドア開けて出てきた中南米風の顔付きの女性と出会った。彼女はタオルケットの部屋着を着ていて、ダリアと目が会った。
映画は一切説明しないが、ダリアは、彼女が何故アレンの部屋にいたか悟った。

ダリアは階段を駆け下り、外に出て駐車場に向かった。
エンジンをかけ、ホテルエリアから外へ出たダリアは、道路脇に車を一旦停め、降りてホテルを返り見た。
静けさに包まれたホテルは、突然大爆発を起こし、巨大な炎を挙げ、建材や建具・家具、書物や衣服・食品に至るありとあらゆる物を破片にして上空に撒き散らし、更に爆発を繰り返した。ピンク・フロイドの音楽をバックにしたそのスローモーション映像の驚嘆する美しさ。

事故か、仕組まれたものか、何れにしてもこんな事が砂漠の中のホテルで現実に起こり得るかどうか?
また、これもダリアの妄想か?
消費の最たるもの、それが爆発だとも言えない事もない。

制作にMGMが700万ドルかけた映画だが、興行収入は107万ドルに留まり、アメリカでの評価は低かった。それはそうだろう、アメリカに惹かれつつ、こき下ろしてもいる、そう見えなくもない映画を当時のアメリカ人がどう感じたろうか。
アントニオーニ自身、この映画を制作中の1969年に、自著『アントニオーニ 存在の照明』でこう書いている、
「アメリカで映画を作るのは簡単でありません。なぜこれほど多くのヨーロッパの映画監督が、アメリカで失敗するのか、私は理解しました。実際のところ、アメリカに定住している者を除けば、ヨーロッパの映画監督がアメリカで撮影した映画の中で、一本の傑作も存在しないのは明らかです。私は自分の映画のことがとして気にかかります。私は成功の秘訣を見出せません。」
冒頭で既に書いたように、映画は、異邦人(よそ者)がアメリカという国をどう見たかという構造になってしまう。異邦人(本作で言えばアントニオーニ)が実際に意図したかどうかは別として、世界一の超大国であるアメリカ人は映画を観て、どうしてもそう感じ取る事になる。

だが、50年の時が経過し、近年本作に再評価の波が来ている。
今回の再上映もこうした潮流によるものである。

2022年の「ニューヨーカー」誌における映画評論家リチャード・ブロディ(1958- )の発言は、批判を受け止めながら随分成長している。
「アントニオーニは不正への怒りや政府の暴力、産業の腐敗を見据えながら、同時に大衆文化の過剰な贅沢さにも魅了されている。アメリカの広告や建築、テクノロジーなど、目のくらむようなイメージに溢れたワイドスクリーン映像を通して、アントニオーニはこれまでで最も自由で、最も奔放な美学的冒険を成し遂げたのだ。」


製作 カルロ・ポンティ
監督・脚本 ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本(共同) フレッド・ガードナー,サム・シェパード,トニーノ・グエッラ,クレア・ベブロー
撮影監督 アルフィオ・コンティーニ
美術デザイン ディーン・タヴォウラリス
衣装デザイン レイ・サマーズ
編集協力 フランコ・アルカッリ

出演 マーク・フレチェット,ダリア・ハルプリン,ロッドテイラー 他

1970年/アメリカ
 
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