mixiユーザー(id:3341406)

2026年04月18日11:00

96 view

「テート美術館 YBA & BEYOND〜世界を変えた90s英国アート」~1 (追記)

4/15(水),16(木)と1泊の予定で上京。
10:17浜松発のひかり、11:42に東京着。
正午過ぎ、大手町のホテルTに荷物を預け、近くの地階レストラン街の蕎匠 包丁切りそば「みとう庵」で海鮮かき揚げ丼とせいろのセットでランチ。

千代田線で乃木坂へ、国立新美術館で開催中の「テート美術館 YBA & BEYOND〜世界を変えた90s英国アート」を観る。
・会期 2/11~5/11

この展覧会は、1980年代後半〜2000年代初頭の時代の英国美術に焦点を当てた企画。
サッチャー政権時代(1979-90)を経て、失業率の悪化など緊張感漂う英国社会では、既存の美術の枠組みを問い直し、実験的な試みをしようとする作家達が多く現れた。
当時 " Young British Artist(YBA) " と呼ばれたアーティスト達は、大衆文化や社会構造の変化等をテーマとし、絵画,彫刻,写真,映像,インスタレーションなど様々な手法を用いて独創的な作品を発表した。
約60名、凡そ100点の作品を通じ、90年代の英国美術の革新的な創作の軌跡を再検証する。

◆「YBA」とは
1988年8月、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジで学んでいたダミアン・ハースト(1965- )は、ロンドン東部の倉庫街で学生,卒業生の作品を発表する「FREEZE(フリーズ)」展を企画。
ハーストや同世代の作家らは新しい視点で素材を選び、制作手法を試み、発表機会を開拓していった。
1992年、「アート・フォーラム」誌で美術史家マイケル・コリスは彼らを「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」と呼び、サーチ・ギャラリーで開催された同名の展覧会により、「YBA」という言葉は一般に広がっていった。彼らの自由な活動により、90年代の英国アートシーンは世界から注目を集める事となった。

◆序章「フランシス・ベーコンからブリットポップ(*)へ」

F・ベーコン《1944年のトリプティク(三幅対)の第2ヴァージョン》(1988)
フォト

F・ベーコン(1909-92)は20世紀で最も著名な画家の1人。生涯、肉体表現を追求、独自の道を進んだ。主に暴力,苦痛,むき出しの感情に満ちたイメージを創造。
本作は彼の晩年の作品で、東西冷戦が終焉し、世界が混迷を迎えていた時代、人間の本質を激しく表現した。
こうした絵画は1990年代当時、英国に新しく生まれつつあったアーティストらにインスピレーションを与えた。不都合な真実に向き合い、人間存在の暗部を深く掘り下げようとする姿勢は、芸術と生活が複雑に絡み合う現実を捉えようとする若者達の心に深く響いた。

(*)1990年代半ばの英国で興隆したギターロック/ポップ音楽ムーブメントで、当時の若者文化や社会意識を象徴する言葉。

◆第1章「ブロークン・イングリッシュ〜ニュー・ジェネレーションの登場」

1990年代の初頭、英国のアイデンティティとは何か、改めて問われるようになった。
サッチャー首相が推し進めた新自由主義経済と個人主義に基づく英国社会再建の中で、格差が拡大、多くの人々が職を失っていた。
そうした中、新世代のアーティスト達は自らが肌で感じとった経験に加え、アイデンティティ、社会における自身の存在の位置づけ、地域の共同体のあり方が揺らぎ、不安定が創作テーマとなっていった。
彼らの作品は「英国らしさ」に新しい視点を投げかける一連の展覧会で紹介された。そのひとつかがグループ展「フリーズ」で、ロンドン東部の使われなくなった冷蔵倉庫を会場として1988年に開催された。これがYBAのムーブメントの起点となった。
学生だったD・ハーストが企画し、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジに在籍中あるいは卒業間もない作家達の作品を集めた同展は、単なる展覧会の枠組みを超えたものとなった。それは伝統的なギャラリー空間を使った作品発表からの決別を意味し、参加した作家たちの生のエネルギーと革新的な精神を反映したものとなった。

ダミアン・ハースト《後天的な回避不能》(1991)
フォト

死に対し強い関心を持つハーストは1990年代に実際の動物の死体を用いた作品で衝撃を与え、若くして世界的な注目を浴びた。
本作は、ベーコンから影響を受けたハースト初期の代表作の1つ。ガラスケースの中にオフィス空間を閉じ籠めた作家は、人間が心理的,社会的、またはその存在の本質ゆえ避けられないサイクルの中でしか生きられない事を暗示している。テーブルの上の煙草,灰皿,ライターは死をもたらすもののメタファーで、人間存在の儚さ、生活の閉塞感を鑑賞者に問いかげている。
フォト


1990年代は、黒人やアジア系のコミュニティが多文化社会形成に重要な役割を果たした時代だった。
1989年にはロンドンのヘイワード・ギャラリーで、アフリカ大陸,カリブ海,南アジアに出自を持ち、それまで周縁とみなされていた人達の展覧会「ジ・アザー・ストーリー(もうひとつの物語)」が開かれ、注目された。そこで紹介された作家達は、植民地政策や帝国主義の歴史を考察し、「英国らしさ」という伝統的な概念に揺さぶりをかけた。

ルベイナ・ヒミド《二人の間で私の心はバランスをとる》(1991)
フォト

2026年のヴェネツィア・ピエンナーレの英国代表に選ばれたL・ヒミド(1954- )は、タンザニアのザンジバル(ヒミド出生時には英国の保護領)出身の作家。出生直後に英国に移住、1980年代より作品制作のみならず、展覧会企画、また教育者としても英国美術界に多大な貢献をした。
本作は、19世紀フランスの画家ジェームス・ティソの海景画を元にしている。アフリカの衣服を身にまとった2人の女性の間に積み重ねられている物は、植民地時代にヨーロッパの男性が奴隷資易の航海の中で用いた地図を表している。彼女達はそれらを破って海に捨てる事により、白人男性によって支配されてきた航海術や知識の体系を否定し、黒人女性が主体となって歴史を語ろうとする意思を示している。

ディノス&ジェイク・チャップマン兄弟(1962- /1966- )の《戦争の惨禍》(1993)より部分
��
フォト

��
フォト

��
フォト

タイトルから想像される通りこの作品は、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)の同名のエッチング(他)による版画集を立体造形にした作品である。
1808~14年のナポレオン軍侵攻に対するスペイン民衆蜂起から独立戦争の悲惨な戦禍を描いた80点からなる版画集で1810〜20年の間に断続的に制作されたもので、彼の死後1863年になってようやく出版された。
作品はガラスケースの中に展示された一見のんきなおもちゃ、ないしジオラマのように見えるが、表されているのは残虐な暴力と殺戮の場面で、現代人はTV画面に映し出される世界の戦争をこのように冷たく俯瞰して眺めているのではないか。

上の写真から部分をクローズアップし、その場面を描いたゴヤの作品を並置してみたい。
�,良�分アップとゴヤの《暴徒》
フォト

フォト

�△良�分アップとゴヤの《残忍な怪物》
フォト

フォト

��の部分アップとゴヤの《戦争の惨害》
フォト

フォト


(続く)
 
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年04月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930