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2026年03月15日11:00

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NHK「映像の世紀」『将軍ルメイ 「悪魔」と呼ばれた男』��/end

(続き)

もう一つアメリカが抱えていた火種がベトナムだった。
軍事顧問団(1955~//1962~軍事援助司令部)という名目で多くの兵士を南ベトナムに送り込んでいた。
1962.4、ベトナムを視察したルメイは敵対勢力を壊滅させる計画を主張。
アメリカはルメイが開発させた新型戦略爆撃機B52を初めて実戦投入した。
ルメイ「私の解決策は北ベトナムに素直にこう言ってやる事だ、引き下がれ、攻撃はやめろ、さもなければ我々の爆撃によって石器時代に戻してやると。」

「石器時代に戻す」この有名な言葉は編集者の創作だったが、瞬く間に世界に広がった。しかし、国防長官マクナマラは北ベトナムの補給ルートを中心に叩き、限定的な空爆しか許さなかった。
ルメイ「左翼リベラルの連中が私を苛立たせる原因がこれだ。彼らは現実を見ようとしない。未来に数えきれない死者を出さないために、今、より少ない人々の命を犠牲にする勇気がないのだ。」

アメリカがベトナム戦争に本格介入していく中、1965.2、ルメイ空軍参謀総長が58歳で遂に引退を迎える。

その前の年、1964.12、日本の佐藤栄作内閣はルメイに勲一等旭日大綬章を贈る事を決めた。
航空自衛隊の創設と発展、軍用機の供与などに多大な貢献があった、というのがその理由だった。
しかし、東京大空襲を始め、日本中を焼き尽くした指揮官への勲章授与は大きな議論を呼んだ。
橋本登美三郎内閣官房長(当時)、「私も空襲で家を焼かれたが、それはもう20年も前の事、戦争中日本の各都市を爆撃した軍人に恩讐を超えて勲章を授与したって、大国の国民らしく、おおらかでいいじゃありませんか。」(「週刊文春」1964.12.2より)

ルメイへの勲章授与式(1964.12.7)の映像が残っている。

フォト

勲一等は天皇から授与されるのが通例だったが、航空自衛隊のトップ航空幕僚長が渡した。授与式の場所も、皇居ではなく、航空自衛隊入間基地、日本人の目を避けるように行われた。(背景の汚れたトタン塀をご覧頂きたい。)

その4年後、62歳になる年、引退していたルメイは米国副大統領候補として立つ事となる。
誘ったのは保守強硬派のジョージ・ウォレス(元アラバマ州知事)。且つてルメイの下、B29の日本空爆にも参加していた人物だ。
アメリカはベトナムで次々と兵士を失っていた。
マクナマラの慎重な路線を引き継ぎ、いつ迄も決着をつけられない政権にルメイは我慢できなかった。
ルメイ「戦争に一度両足を突っ込んだら、全身全霊で臨み、できる限り早く決着をつける事だ。ベトナムのジャングルで錆びついたナイフで殺されるのと核兵器で殺されるのとでは大差ない。実際、選択肢があるなら核兵器を選ぶだろう。」
しかし、反戦運動が広がり、ベトナム戦争への支持が失われていく中で、人々の心をルメイが掴む事はなかった。

大統領選に敗れてからは、表舞台から身を引いたルメイ。
1978年、NHKの取材班がカリフォルニアの自宅を訪ねていた。ルメイ、71歳の年だった。
NHK取材班、「多くの空襲計画に深く関わってきたルメイ将軍。そのルメイ将軍に訊きたい事がひとつだけあった。何故東京のあの地域を攻撃目標に選んだのか?」
ルメイはプールのある邸宅の庭に背を向けて立ったままパイプをくゆらせながら言った、「日本の記者に言う事はない。戦争は遠い昔の事だ、もう忘れたい。」
ルメイは何も語らず、ただ勲章の撮影だけを許可した。

     フォト
数多くの勲章が並ぶ棚、下段左から3つ目に日本政府が授与した勲一等旭日大綬章が置かれていた。

1990.10.1、ルメイ歿す。83歳。死因は心臓発作だった。
ニュースを伝える米アナウンサー、「本日、空軍のカーティス・ルメイ将軍が亡くなりました。彼は戦略空軍の偉大な提唱者でした。」
その生涯は常に戦争と伴にあった。

ルメイの死から35年後、2025.9、トランプ大統領は国防総省に「戦争省」という名前を77年ぶりに復活させた。
そして、2026年のアメリカ合衆国の国防予算は遂に9,000億ドルを突破。
世界の軍事費の4割近くに迄膨れ上がった。

2026.1.3、ベネズエラ侵攻、そして2026.2.28、イラン攻撃の映像を背景に、番組はトランプの声を挿入、「我々の力と威光が世界を平和へと導く。友は我々を敬い、敵は我々を恐れ、全世界がアメリカ軍の比類なき偉大さを称賛する。」

世界は今もルメイが掲げた"力による平和"という思想の中にある。

番組は冒頭に戻り、2019.11、「カーティス・ルメイ指揮統制部」オープン時のマーク・ミリー統合参謀本部議長(当時)のスピーチを伝えている、「我々は1946年のカーティス・ルメイの時代から、日々このモットーを実践してきた。"力による平和"こそ我々司令部の日常なのだ。大国間の戦争を防ぐために我々は存在している。これこそが1945年以来大国同士の戦争が起こらなかった最大の理由だ。」

東京大空襲から22年後の1965.2、軍を引退するに当り、ルメイは空を志す空軍士官学校の若者達にこう語っていた、
「若いインテリ達は"戦争は恐ろしい"、"戦争は恐ろしくて考えられない"、"戦争なんて馬鹿げている"と非難する。これには私も同意するが、我々は戦争をせずに済む解決策を見出せていない。人類はまだそこ迄進歩していないのだろう。」


 ディレクター 有本誠
 放送 2026.3.9(月)
 
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