例の脚本家のノイズ発言へのネットの意見。ざっくりとこういうことかな。
「アニメ製作上の選択として、裸を水着に変更するのは理解できる。むしろ、現在の状況なら当然の配慮。裸を映すことが製作の方向性に対して必須でないことは、アニメ製作の関係者達も共有している。そして、そもそも当該記事から原作をノイズ扱いする意図を読み取り難い。一方で、そうと読んでしまう人が大勢いて、記事の中の言葉のチョイスに疑問を呈する人もいる」
SNSのエコチェンの範疇かもだが、大体こんな感じだと思う。
極端な原作至上の方針を取ってる鬼滅ですら、原作とアニメの違いはあるし、それに対する意見は人それぞれだが、概ね受け入れられていると思う。というか、ぼっちのアニメ化自体が、放送当時はめちゃくちゃ評価されていたはず。なのに今更?
ここでとある実写映画の監督のインタビューのリンクを貼る。
https://www.elle.com/jp/culture/movie-tv/a65452788/cinema-active-yoko-yamanaka-25-09/
この監督が撮った映画の着替えのシーンに対して、裸を映すことに意味がないという意見が「すごく多かった」らしい。誰もいない自宅で着替える時、下着を着けてないのは自然なはずなのに、それをノイズと感じた観客が多いということだから、例の脚本家の言うことが正しかったってことやん。
この監督曰く、日本の観客は裸を映す以上、それはサービスシーンであるべきと考えている向きがあって、しかしそんな性的消費はあり得ないことだと。
あれ?ちょっと待って。アニメの裸は性的消費だから描かないのが正解で、実写の裸はそれが性的消費であるべきという考えが間違ってるから、あえて描くことが正解なの?なんだそりゃ。
共通するのは、性的消費の視線で見る奴が悪いってこと。あー、やっぱそうなるかー。
自分は小学生の頃からメガネを使ってたため目付きが悪くて、いやらしい目で見てると女子から言われたことがある。超能力者でもないのにそんなの分かるのかよ。ただの言い掛かりじゃねーか。
そして、性的消費という言葉も、実際に何をしたかじゃなく、頭の中で考えていたであろう何かを非難する言葉になってきてると思う。例の脚本家への反論の中には、アニメでは変更されてセーフだけど、原作には入浴シーンが描かれているので、それを読むのは性的消費ってことになるのか、という声もあった。これもただの言い掛かりじゃねーか。
もう自分は、裸の描写がなくて、地質学的な興味を喚起する健全なアニメ、瑠璃の宝石を見ることにするわ。
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