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2025年09月12日23:49

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映画『アイム・スティル・ヒア』

9.11(木)、シネマイーラ浜松で『アイム・スティル・ヒア』を観る。

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この映画は単にブラジルの現代史の1ページを描いたものではない。
1960~70年代のブラジルに限らず、専制主義の前で民主主義の脆さを私達は痛感させられないではいない。
あなたは何処にいるのか? 今、「私はまだここにいる」。

レポートでは敢てデートを重視してクロノジカルに書くが、映画は人の記憶を重視した描き方になっている。映画でピックアップされていない出来事もある。

1964年、軍部のクーデターにより民主政権が崩壊。カステロ・ブランコが大統領に就任。
軍政令により、議会権限も、選挙で選ばれた政治家の権限も剝奪された。
ルーベンス・パイヴァの議員資格も奪われた。彼は一時ヨーロッパへ亡命したが同年中に戻る。

原作は、彼の息子マルセロ・パイヴァが書いたポルトガル語の回想録『 Ainda Estou Aqui 』。英訳 " I'm Still Hear "。
ルーベンスと妻エウニセ、そして5人の子供達がその時代をどう生きたか、ブラジルはどう変わったか(変わらなかったか)?
エウニセは子供達を支え続け、2014年に亡くなったばかりだ。1960~70年代は、決して過去の話ではない。私達が住む今と直結している。

1966年、パイヴァ一家はサンパウロからリオ・デ・ジャネイロへ転居。
ルーベンスは元々のキャリア、土木技師として働きながら、こっそり亡命した友人やその家族を支援する活動を続けた。
映画では、明るいビーチで遊ぶ家族や市民らを描く。その上を軍のヘリコプターが飛んでいくが、不安が募るエウニセ以外、誰も気に留めない。

1967年、ブランコより強硬派のコスタ・シルヴァが大統領職に就く。
1968年、シルヴァは議会を閉鎖、非常権限による大統領令により、言論・報道の自由を剥奪、令状ナシでの拘束や尋問が合法化される。
議会は閉鎖していないにしても、非常時を理由に大統領令によって自分の思うままに世を牛耳ろうとする手法は、今の米国に通ずる。

1969~70年、海外公使館の大使らが誘拐される事件が続けて起こる。
1971年、パイヴァの自宅に制服を着ない男ら(軍関係者)が来て、ルーベンスを連行する。
男らの一部は家に居残り、家族の行動を制約する。
翌日、彼らはエウニセと次女エリアナ(当時15歳)を拘束、車で連行。2人は車中で覆面をさせられる。
家に残る家族と家政婦も、男らによって軟禁状態が続く。

エウニセとエリアナが連れていかれた先は、警察の基地か。
2人は別々の小部屋に押し込められる。
鍵をされ、陽は天井近くにある小さな窓から入るのみ。
エウニセは引っ張りだされ、尋問を受ける。夫とエリアナに会わせて、と責任者らしき男に要求するものの、無視される。
彼女は、顔写真の並べられたファイルを見せられ、知っている人間がいるかどうか返答を迫られる。
知らないと答えると、もう一回最初からしっかり見ろと言われる。次第に応対が横暴になる。

次の日もその次の日も、同じ事が続く。写真は増えていくようで、ファイルの中に、夫の写真そして自身の写真を見つける。
ある夜、壁を通して、微かに男の歌が聞こえてくる。何部屋も向こうからのようだ。その歌は夫が好きだった曲のようにも思える。
別の日、尋問に連れていかれる時、左右から腕を抱えられ、呻き声をあげながら引き擦られていく男と行き違う。
床にこびりついたものをブラシで掃除している男ともすれ違う。
直接的な暴力は受けないが、次第に精神的に痛めつけられていくエウニセ。
それでも彼女は、収監室の壁を引っ搔いて、連行されて何日目か数えられるようにした。

ある日、エウニセはようやく自宅に帰される。12日目か。
家には一緒に連行されたエリアナがいた。彼女は1日で帰されたとの事。
ほっとしてエウニセはシャワーを浴び、身体の汚れを落として深々と眠る。

翌日、絶望の淵にあってもエウニセは家族の前でなるたけ笑顔をつくり、皆を落ちつかせる。
夫ルーベンスは、相変わらず帰ってこない。
友人達に捜索を依頼するが、情報は得られない。次第に想像は悪い方へ傾く。

1973年、エウニセ(その時43歳)は法学を学ぶため大学に再入学する。弁護士の資格を取り、国と闘う覚悟だ。
1974年、エルネスト・ガイゼル大統領就任。国際的な人権問題批判と経済停滞により、軍政権の軟化が見える。
1975年、あるジャーナリストの拷問死が、国民の抗議運動の契機となる。
1977年、エウニセ、大学を卒業、司法試験に合格。

1978年、政治犯に対する拷問が国際的な非難を浴びる。
1979年、恩赦法制定。軍政権によって拘束された政治犯の釈放が進むが、一方で軍関係者の免責も適用される事となる。
1983~87年、エウニセ、ブラジル先住民族の権利擁護を主張、人類学環境研究所を共同設立して、法制化を推し進める。
1985年、軍事政権終結、民政への移管。

1988年、人権保障を盛り込んだ新憲法制定。しかし、1979年の恩赦法は相変わらずこの中に生かされていて、軍政時代の人権侵害の訴追の壁となり続けた。
1991年、ルーベンス失踪事件が国際的な注目を浴びる。
1993年、ブラジル政府特別委員会がルーベンスを「政治的失踪者」として正式に認定する。
1995年、「失踪政治犯罪者法」制定。
1996年、ようやく政府よりルーベンスの死亡証明書が発行される。事件発生から何と25年が経っていた。

1999年、エウニセは経済的な困難も募り、区切りをつけるため、家族と伴に、リオ・デ・ジャネイロからサンパウロに移る事とした。長年の付き合いの家政婦とも別れる。この年エウ二セは70歳となり、弁護士の仕事からも退いた。子供達には、この家への愛着を捨てきれないものがある。家には父の思い出が詰まっている。
2000年、これはあとから分かるのだが、この頃からエウ二セに認知症の兆候が現れるようになった。
2008年、車椅子生活となり、長男マルセロが法定後見人となった。

2014年、国家真実委員会(CNV)、ルーベンスの死を「国家による違法拘束・拷問・殺害」と認定。
ブラジル連邦検察庁(MPF)、ルーベンス事件で元軍人5名を殺人・死体遺棄等の容疑で告発。

連日TVのニュースはルーベンス事件の詳細を報道した。
子供達の世話なしでは動けず、名も思い出せなかったりすることが多い中、病んで老いたエウニセはTV画面を見て指を指し、声をあげ、目に涙を溜めた。
それ以来、感情が高ぶる時など、エウ二セはよく言ったという、「私はまだここにいる」と。彼女の言葉は幾通りにも解釈できて、その真意はよく分からないが。

ちなみに、老いたエウニセ役は、壮年期の彼女役を演じたフェルナンダ・トーレスの実母でフェルナンダ・モンテネグロが当っている。往年の名優として知られ、多くの賞を受賞した経歴を持つ。トーレスの方は、本作でゴールデングローブ賞主演女優賞その他、多くの賞を獲得した。

2015年、ルーベンスの息子マルセロ・パイヴァが回想録を発表。タイトルには、母エウ二セが晩年によく言っていた言葉を当てた。『 Ainda Estou Aqui 』。
2018年、アルツハイマー型認知症を原因とする長い闘病ののち、エウニセは89歳で没した。

夫ルーベンスの死は1996年に確定したが、軍は今なお彼を含む多くの失踪者達の遺骨の行方を明らかにしていいない。

エウ二セの件の言葉「私はまだここにいる」は、私達がまだ1960~70年代をしっかり総括しきれていない事を感じさせもする。
ジャイール・ボルソナロ(1955- )のような専制主義的な人物が現れ、大統領(任期2019-22)となり、民主主義は後退。今も大統領選敗北を認めず、それを覆すためクーデターを企図した。
トランプ米国大統領は裁判結果(禁錮27年3ヶ月)を認めず、「魔女裁判」と主張し、彼への称賛と支持をやめない。
分断は深まるばかり。

記憶の継承という事が如何に大事か、もう一度、我々は自身に問い直さねばならない。


監督 ウォルター・サレス
原作 マルセロ・ルーベンス・パイヴァ
脚本 ムリロ・ハウザー,エイトール・ロレガー
撮影監督 アドリアン・テイジド
編集 アフォンソ・ゴンサウヴェス
美術 カルロス・コンティ
音楽 ウォーレン・エリス

出演 フェルナンダ・トーレス,セルトン・メロ,ヴァレンチナ・ヘルツァジ,ルイザ・コソフスキ,フェルナンダ・モンテネグロ 他

受賞 米アカデミー賞国際長編映画賞,ゴールデングローブ賞主演女優賞,ヴェネツィア国際映画祭脚本賞 他多数

2024年/ブラジル,フランス
 
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