日本全国にいったいどれほどの美術館があるのやら。
まだまだ全館制覇はおぼつかない。
《福岡3》承前
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1990163603&owner_id=8666179
田川市からほぼ一本道でおよそ30分
《嘉麻市立織田廣喜美術館》
田川市とほぼ変わらない炭鉱衰退の街。
近年の統計によれば、市の経常収支は福岡県で最低レベルとある。
しかしながら、この街に織田廣喜という芸術家がいたからこそ、貧乏な街には不釣り合いなしっかりとした美術館と図書館が存在している。
小さな町の公立美術館にはありがちの『有名画家遺族からの寄贈』は、美術館建立の切っ掛けにもなっていた。令和の時代には見られなくなったことだけれど、例えば、奈良美智先生が弘前市に全作品を寄贈しちゃったら、弘前市議会はきっと莫大な予算を計上してれんが美術館に勝るとも劣らない新美術館を建ててしまうだろう。
【雲外蒼天】
飛行機になるとよく気がつく。
地上は雨でも、雲の上は常に青空。つまり、視線は常に雲の外に向けておけ。
企画展をスルーして織田廣喜作品だけに絞ったコレクション展。
これがわずかの200円。
しかも鑑賞していた40分の間、誰ひとりの観客もなく、セキュリティスタッフも不在。
完全なる貸切鑑賞を実現した。
彼の作風はフランス留学以前、以後でガラリと変わる。
仏前は真面目な美大生。或いは二科展のお気に入り。
やがて抽象的なチャレンジングを試したのちに、欧風作品が彼の画風として成立する。
とはいえ、何を描いても絵になる画家。
ユトリロのようなパリ郊外が美しい。
500号の作品を展示するための大きな展示室。
思い出したのは広島三次の奥田元宋・小由女美術館。
あの日の奇跡的な満月はおぼろでも美しかった

『ベルサイユ宮殿の湖』
人生2度目のベルサイユは雪が積もっていた幻想的なシチュエーションだった。
ベルサイユの湖畔を30分。汗をかいて歩いていたことを思い出す。
彼の作品をほかにどこで観ているだろう。
竹橋、福岡市美術館、福岡県立美術館。
どこかで鑑賞した彼の作品に琴線揺さぶられ、この僻地にある美術館がウィッシュリスト入りされていた。
代表作『讃歌』(1950)
500号のキャンパスなど買う金もなかった彼は、古いキャンパスの絵の具を剥がし、奥さんが針で縫い合わせて巨大なキャンパスを作り上げた。
近づいて作品を観ると、畳針の縫い合わせが象徴的に見えている。
門外不出だろうか。この作品だけでも観る価値のある美術館といえる。
抽象画家だった奥さんは、結婚出産によりあっさりと筆を置いた。
それからは敏腕マネージャーよろしく、織田廣喜のそばで助けていく。
彼女は残念ながら、若くして病気により世を去り、一粒種・織田広比古という画家を世に遺す。
2025年6月の福岡周遊。これにて一段落。
さて、次はどこへ行こう

従業員がポップコーンに顔埋める“バイトテロ”動画拡散…109シネマズが謝罪
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=8367719
ログインしてコメントを確認・投稿する