振り返れば77年前は東京大空襲
日本の大馬鹿大将が始めた《大東亜共栄圏》などというドン・キホーテ構想のために、多くの日本人と外国人がその犠牲になった。
江東区の祈念館を訪れたことがあるけど「軍部の連中は我先にと逃げ出した」なんていう町民たちの手紙が残っている。
ウクライナで起きている惨状の圧倒的な責任はプーチンチンにあり、プーチンチンにしか責任がないが、日本の場合は無条件降伏までの期間が長すぎて、やがてヒロシマやナガサキにとてつもない爆弾が落とされる。
いつの時代も人間の狂気とは変わらないものだ。
ヒトラーや東条英機やプーチンチン。彼らの存在を肯定する人に、これからも出会いたくない自分がいる。
《阪和4》承前
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大阪中之島美術館をあとにして、グーグルと鳴り響く空腹を抱え、京阪渡辺橋のロッテリアに飛び込んだ
そういえば、瀬戸内の島々から戻ってきて、グーグルと鳴り響く空腹を満たしたのも、高松駅のロッテリアだった
なので、自分にとってロッテリアは、何を食べても絶品のイメージが棲みついた。
アートを堪能したあとは、腹ごなしを兼ねてアーキテクチャトリップ
安藤忠雄作《こども本の森》

は建物を撮り忘れ、ドナーボードを取り囲む葉っぱにフォーカス
1枚の葉っぱが虫食いにあったのか、ジョアン・ミロのようなアートを描いていた。
誰かへのメッセージなのだろうか。永久橋、40年の歴史は深い。
昨年末、住吉大社へ出掛け、4棟の国宝に祈りを捧げている。
お陰様で良い年を迎え、そしてまた、ここにやってくることができた。
今回のお祈りは迷うことなく世界平和。そして、プーチンチンのデリート。
前回奉拝時にすっかり忘れていた安藤建築の初期名作。
《住吉の長屋》
個人宅であって住所が秘匿されているから、我が建築物の師、マイミク・チョッパーさんからご教示を得る。
グーグルマップを駆使して辿り着いてみたら、住吉大社から3分もかからない。
表札には「東」の苗字。そのまんまか。
南海電車に乗るのは何回目だろう。
住吉大社から各駅停車でいくつか揺られて、辿り着いた小さな駅。
《浜寺公園駅》(辰野金吾)
人生2度目の拝観
1度目はまだ供用現役だった時代だから、2016年以前ということになる。
レンタカーでやってきて、ロータリーに止めて日本最古の私鉄駅舎を眺めていた。
探せばmixiアーカイブに残っているかもしれないが、クソ忙しいので探さない。
今は引退駅舎となって隣地に移築。カフェとして当時の名残を残していた
辰野金吾で思い出す。そういえば、今日は我が父の月命日。お墓参りを忘れない。
墓前で拝むたびに感謝があふれてくる。
DVもスパルタもなかったお陰で、こんな笑顔の中年おやじに育ちましたとさ。
日没が迫ってきた。
2万歩近く歩いた疲れを、りんくうの温泉で癒しておこう。
《アクアイグニス》
りんくうタウン内にはなんちゃって温泉が3つ
その中でも同地に《変なホテル》を抱えながら、”空いていて快適”と評判のアクアイグニスをセレクトし、あわよくば関空を遠目に臨む。残念ながら空港は垂れ込めるガスの中に隠れ、発着機にも出会うことがなかったけど、卒業旅行の学生たちだけが風呂場に集い、とにかく空いていて快適だった。つまり、評判通り
りんくうタウン駅からタクシーで乗り付けてもフロントでタクシー代を返してくれる。
帰りは駅までマイクロバスで貸切送迎
かなりのオーバーサービスで経営すら心配になってしまうけど、

「本来なら巡回で送迎バスを運行しているのですが、このような時期なのでピンポイントの送迎をさせていただいています」と運転手さんの言葉。

「天気のいい日は神戸港まで見渡せるんですよ」からスタートして、

「インバウンドが消滅して、空港のレストランは2年間も休業です。空港職員やレストランの従業員がりんくうタウンを宿にしていたんですけど、みなさん、どこへ行ってしまったのか…」
息を振り絞るように、寂しいガイド。

「またいつか、にぎやかになりましたら来てください

」
好印象しか残っていないりんくうタウン。
これだから、旅はやめられない(←やめない)。
次回の訪阪、2025年大阪万博ロシア館でプーチンチンのミイラを見ることを目標にした。
(つづく)

住まいに求めること、3位は「遮音性」2位は「広いリビング」 1位は?
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