小学校高学年時代から「北加瀬のピンボール・ウィザード」(自称)と呼ばれ、青年時代にはピンボール大会でそれなりのあれだった。
もしも、自分が家を建てたなら、地下の1室にピンボールマシンを置くことが夢だった時代さえある。
カフェバーにビリヤードやダーツが幅を利かせる前、ピンボールマシンは確実に主役だった。
ところが、カフェバーといいながら、コーヒーを飲んでいると屁のような扱いをされると分かり、おいらはゲームセンターやボウリング場でしかピンボールマシンを操ることができないヘナチョコと相成った。
ボウリング場が減っていき、ゲームセンターがメダルゲームやバーチャルゲーム中心になると、ただでさえ輸入コストのかかるピンボールマシンは台数を急激に減らし、ついには都内でも十数台しか見ることのできない産業遺産へと変わっていく。
昨年のいつだか、ピンボールのメッカであった中央線・豊田駅前のゲームセンターが閉店し、おいらの記憶ではお台場、柴又、神田ぐらいしかマシンで遊ぶことができなくなっている。
村上春樹や村上龍や村上隆なら、真夜中の六本木や下北沢のバーへぶらりと足を運び、店の片隅においてある1973年のピンボールを叩きながら、グラス片手におねえちゃんを口説くことができるだろうに。
どうしても、ピンボールマシンで遊びたい。
なぜか、ふとそんな欲望が湧いてきた。理由(わけ)などない。
なぜ(わけ)などと入れたのか、それすら理由もない。
神田駅、徒歩30秒。
TAITOステーション・・・特に目立つことのないどこにでもあるゲーセン。
現役ピンボールマシン2台。
《スーパーマリオ マッシュルームワールド》
いきなりマリオ台を発見。
さっそく、家族LINEで報告してみたが、見事に既読スルー
いつものことさ
最近のゲーセンはsuicaやnanacoで遊べてしまう。
しばらくするとビットコインでさえ遊ぶことができるだろう。
今なら1BTCでゲームマシンそのものが買えてしまうけどね
とりあえず200円分を支払って3クレジット。
何年ぶりのピンボールプレイになるだろう。(もしかしたら、それほど前でないのかもしれないが)
フリッパー操作が慣れるまで、2ゲームほど費やしてしまったが、3ゲーム目にクレジットアップとなる4500万点をクリア、61,136,960点というハイスコア(当社比)を稼ぎ出した。
ピンボールをプレイする時は、常に全力
従って、汗だらけ
2台目はハリウッド。
《JURASSIC PARK》
とにかくアメリカ製のピンボールには、マーベルものやハリウッド映画をキャプチャーにしたマシンばかりである。
このような風潮になってからどのくらい経つだろう。
しかも、複雑怪奇でマルチボールプレイが主流で、点数も1億点が当たり前のインフレ化。
北加瀬のピンボール・ウィザードだったあのころ、川崎のさいか屋屋上にあったピンボールなんて、頑張って1,000点いくかどうかという、単純なフリッパーゲームだった。
ジュラシックパークは1ゲームでやめておいた。
右のフリッパーは、まるで54歳男性平均のおちんち●のように垂れ下がり、銀玉を上部へ打ち上げる気力もない。
日本中のピンボールゲームは、おそらくほとんど、どこかのネジが逝かれているか、フリッパーの力は54歳男性のそれだろう。
次なるアクションの時間が迫っていたので、久しぶりのピンボールはこれでお開き。
ピンボールフリーク復活なう。
次回は、お台場で叩くことを目標にしておこう。
熊谷守一、コンプリートの件。
『没後40年 熊谷守一 生きるよろこび』(東京国立近代美術館)
平日の昼下がり、それなりの鑑賞客が入り口付近にたむろする。
徳島で観たそれは、彼が80歳代を超えた老獪な作品展示。
ここMOMATは、まさにデビュー作から代表作『猫』まで、惜しむことなく200点余りが展示されている。展示されすぎていて、途中、飽きる。
終盤になるにつれ、熊谷作品に"赤い稜線”が現われ、それからの雰囲気ががらりと変わる。
風景画から静物、昆虫や動物。そして、猫、猫、猫。
予定以上に鑑賞時間を費やし、常設展へ上がる余裕を失くしていた。
また来ればいいか。
鑑賞記念のポストカードは『稚魚』(1957年)、代表作『猫』とともに。
これで、熊谷守一関係はコンプリート
と、思いきや、まだあった。
『熊谷守一つけち記念館』、岐阜県中津川。どこやねん、行った事もない
《美の巨人たち》観て勉強します。
■週末の銀座に出没するスパイダーマンを直撃 その意外な正体とは?
(AERA dot. - 12月09日 16:42)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=4896638
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