結婚したのは私が三十七歳、彼が三十五歳の時であった。その結婚に、私自身、大きな感謝と感動を持ったが、そんな中で次のような歌が生まれた。
君とゐてなおも淋しきこの夕べ聖句幾つか胸に浮かび来
この淋しさは、決して彼との間の感情の行ちがいから生まれたというものではない。人間、何処から来て、何処に行くのか、という存在にかかわるところから発する淋しさである。しかし私には聖書があった。そして共に祈る夫がいた。祈る対象があった。イエス・キリストの神である。朝に夕に、私たちの家庭では夫婦が共に祈る。食事の度に祈り、また来客と共に祈る。
こうした祈りの中で、私は独身時代に覚えた孤独ほどには、深い孤独に陥らずに生きてきた。それはやはい、神の愛が私たち夫婦を一つにしてくれたからであろう。
(三浦綾子『それでも明日は来る』)
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