人が「誤解された」と言う時、それはほとんどの場合自分の欠点を言い当てられた時ではあるまいか。つまり、極めて正確に自分を見られた時に言うのではないか。
その反対に、「あの人はわたしを理解してくれている」と言う時は、たいてい買いかぶられたり、見誤られたりした時ではないか。
理解と誤解の言葉が、わたしたちの胸の中で、自分の都合のいいように置き替えられている。わたしなど、人様が誤解してくれているから、まだ何とかつきあって頂けるのだと思う。私という人間の心の底まで見透かしたら、誰だって今のようにはつきあってはくれまいと思う。
「誤解されてありがとう」である。
(三浦綾子『』北国日記』)
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