師走最終週末。
月初までの予定では「大阪」か「静岡」へ夫婦水入らずの小旅行を目論んでいた。
ワイフさんからのミッションは「それまでに大掃除を終わらせること

」
おいらの担当となったありとあらゆる掃除箇所は、11月末からスタートし、先週までにミッション完了。
あとは、小旅行の場所を見繕って、心地よいプランを仕上げるだけだった。
んが、しかし。
先週の中頃に喉を痛めたワイフさんの雲行きが怪しい。

「おとうさん(←おいら)、ごめん。大掃除終わらないから、週末は勝手に遊んでて

」
見事なまでにあっさりと小旅行がなくなり、おいら一人、on my own
今日、土曜日は一日映画三昧で暮らしたが、明日の予定が立っていない。
回遊マグロのように日々動いていないと、マジ死んだに等しい性格なものだから、極めてマズイ状況に陥っていた。
捨てる神(←ワイフさん)あれば、拾う神あり。
そんな時に限って旧友からの電話が入る。
LINEでも、携帯電話でもなく、イエデン。
「もしもし」「はいはい」のあれである
旧友といっても、再会できるとすれば30年ぶりになるだろうか。
用件はこうだ。
社会人なりたての頃、仕事が終わると雀荘へ行ってフリー麻雀に明け暮れていた。
病膏肓、ついには雀荘のメンバーさんになって今で云う『ダブルワーク』をしていた時期もある。
そんな頃に同じ卓を囲んでいたのが、同じ昭和38年組の競輪選手、山田英伸だった。
彼は、川崎駅に近いM河原中学校を卒業し、自転車競技の名門・法政二高に入り頭角を現す。
プロになってからは新人レース破竹の連勝で一気にS級へ上り詰め、グレードレースの常連となった。
麻雀をしていたのは、グレードレースの常連になる前の頃だったかもしれない。
社会人1年目で年収300万円そこそこのおいらと、競輪選手の最高峰クラスに位置して年収3000万円を稼ぎ出す山田選手。
彼の麻雀は《雑》そのもので、単に時間つぶしで卓を囲んでいたに過ぎなかったようだ。
少なくない万札を彼からいただいた記憶がある。その記憶が正しければ。
さて、用件はどうなった。
電話をくれた友人は、これまた川崎南部にあるM幸中学の同級生。
高校は確か工業高校へ行ったのだから、学校での接点は皆無。
おそらく麻雀仲間繋がりということになる。

「クソ久しぶりだね。山田英伸、覚えてる?奴が明日、引退すんのよ。応援しに行かないか

」
Friends is just the treasure of life !
こんなありがたい連絡をもらっておいて、行かないわけがない。
山田英伸選手に関して、競輪評論家の指摘は極めて厳しい。
“たぐいまれな才能を練習嫌いで潰した競輪界のパンチドランカー”
反論ができないほど、落ちるのが早かった選手である。
今や、落ちるレベルがないほどの最低クラスに引っかかりながら、明日の引退を午前中の消化レースで昇華させる体たらく。
それでも、生涯獲得賞金は6億を超えているのだから、その才能と努力は決して恥じるものではない。
12月27日小田原競輪場、第2レース。
発走は11時11分。
精一杯の声援は贈る。
しかし、彼を買うことはない。
有馬記念。
このところ、大幅に公営ギャンブルの参加頻度が少なくなっている。
理由はある。
競輪は内紛問題に嫌気が差し、オートは配当率引き下げという愚行から、一切車券を買うことがなくなった。
競馬は頼りにしている予想屋が(略)。
競艇と川崎・大井の地方競馬への参加のみ、微かに遺している程度か。
有馬記念は毎年参加。
なぜなら、ワイフさんが買い目を指示してくるレースでもあるからだ。
さて、宝くじすら買わない堅実派な夫婦、狙いはレトロな枠番連勝複式。

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有り金勝負
ついでに、ルメール騎乗のリアファル単勝、おいらは短小。
抑えにラブリーデー。
《12月27日 中山10R 有馬記念》
枠連 5-6 有り金勝負
単勝 12
馬連 BOX 4-9-12
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