〈続き〉
◆第2段階;100万分の1秒〜3秒「火球の出現」
過去の原爆実験から広島と同規模のものの映像記録、その超高速度撮影カメラから、原爆の火球は、0.006秒→0.03秒→0.9秒と短時間のうちに猛烈なスピードで膨張する事が分かった。この間に放射線、熱線を放つ。
炸裂直前の100万分の1秒、原爆筐体の内部温度は250万℃に達している。
100万分の1秒後、炸裂。火球出現。
100万分の15秒後、火球は40万℃、太陽表面温度の70倍。直径は20m。
0.2秒後、火球の直径は310mに。この時火球は最大になり、最も明るく見える。ヒバクシャらが「ピカ」と呼んだのはこれである。
この時、地上で熱線の影響が出始める。
火球の周囲は空気と反応し、大量のガンマ線を発する。
そして、熱線に続き、炸裂の2.5秒後には衝撃波が襲う。
火球は空気の塊で、激しく膨張する時、それに押されて空気が外に広がる。衝撃波の発生メカニズムである。衝撃波は音速よりも早い。
原爆ドーム(広島県産業奨励館)への初期影響を、具体的な構造や建材等を突き止めたうえで、電子上で把握した。
ドームの丸天井は緑青を葺いた銅板(厚さ0.5m)、丸屋根以外の屋根はスレート(石盤)だった。地上三階地下1階、ドーム部のみ地上5階。
ドームに到達した最初の熱波(炸裂後0.2秒)は1900〜2200℃と計算され、銅葺きの丸天井は鉄の骨組みを残し一瞬にして溶け落ち、スレートは表面以外暫時形を留める。
続いて、0.6秒後に起こった衝撃波(秒速500m)で、屋根がなくなったドーム下の階段は全て落ち、スレートもほぼ真下に吹き飛んだ。
つまり、ここ迄1秒の内に産業奨励館は壊滅し、今見る原爆ドームになったのである。
◆第3段階;3秒〜10秒「衝撃波の広がり」
衝撃波は、爆心から3秒で1.5kmの範囲へ、7.2秒で3km、10.1秒で4km迄到達。猛烈なスピードで広がった。
以下、イメージ喚起のため、広島市が発行している「原子爆弾被災状況、広島市街マップ」。
頑丈な建物でも被害は発生している。
爆心から1.6kmの地点にあった「貯金局」は、鉄筋コンクリート造り地上4階,地下1階で、外観は殆ど無傷で残った。
だが、この内部で84人が死んだ。
炸裂の3.4秒後、衝撃波がビルのガラス窓を突き抜け、その内部で強力な渦が発生。
ガラスは人体に突き刺さり、渦は人や家具などを巻き上げ、床に叩き落とした。
地面が熱せられると衝撃波はその影響を受け、激しい渦を引き起こし、惨禍をより大きくする。
火球は10秒で光を失い、形を変えていく。
猛烈な上昇気流が発生し、あのきのこ雲をつくる事になる。
ここ迄たった10秒、人は逃げようもなく無差別に命を奪われ、広島市は壊滅した。
その後、20分後には、放射性物質を含んだ黒い雨が降り始める
黒い雨による被曝線量と多くの残留放射能は永く人体をむしばんでいく。
研究を進めた米国の科学者は広島を去るに際し、再度原爆資料館を訪れた。
そのうちの一人、ペンシルバニア大のクラウトハマー博士は、芳名帳にこう書いた、
「過去に起こった事実は、核兵器とはどんなものか私達に教えてくれる。
このヒロシマの惨禍が将来の私達を待ち受けている姿なのだろうか?」
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