(続き)
2.「光を表現する」
香月美菜(かつきみな/1989- )《5:21:10》(2021)
中日新聞7.8朝刊記事
オラファー・エリアソン(1967- )《Striped eye lamp》(2005)
デンマークのO・エリアソンは光の様々な造形を追求し続けている。
下は2023年に国立新美術館で開催された「テート美術館展 光」に出展された動く大型作品《星くずの素粒子》(2014)。(2023.8.2記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985615820&owner_id=3341406&from=list_diary_search
高松次郎(1936-98)《影 No.205》(1968)
高松次郎も前述した「ハイレッド・センター」の一員。1964年に〈影〉シリーズの制作を始めた。
壁に取り付けられたフックは実物。何もかかっていないが、ぶら下がった鍵の影が見える。影はパネルに描きこんだものだ。
影を信じるならば、その鍵本体は何処へ消えてしまったのか。虚と実在、そのあやうさ。
3.「人を描く」
人と言っても、現代アートにおいてそれは肖像画ではない。
それを通して、感情や内面、社会や時代のあり方を映し出す鏡と言っていいかもしれない。
それぞれに描きだされた人(らしきもの)の特徴を見てみよう。
バンクシー(?)《Avon and Somerset Constabulary》(2001)
落書きを見つけようと、必死に双眼鏡を覗いているエイボンとサマセット警察の2人の警官。見つけたら、描いた者(即ちバンクシー)を現行犯逮捕するつもり。ユーモアを解さない警察の硬直した姿。
その様子を落書きのような作品にしたバンクシーのユーモアと皮肉。
奈良美智(1959- )《Ash Night》(2000)
中日新聞7.9朝刊記事。
これも展覧会チラシ表面、本展メインビジュアルの位置づけ。
同年、先に描かれた作品に有名な《Knife Behind Back》がある。こちらは本展に来ていない。
女の子は《Ash Night》と同じように、背中にナイフを隠し持っている恰好をしているが、顔の表情は違う。
《Knife Behind Back》ではへの字口、ふてくされた憎らしい顔をしているが、本作では、不敵な笑みを浮かべている。
「ASH」は北アイルランドのパンクロックバンドで、奈良はよく聴いていたらしいが、私は知らない。
2000年は奈良が12年間のドイツ留学から帰国した年。
ナムジュン・パイク(1932-2006)《Beat Net》(1996)
韓国出身のN・パイクは1960年代よりテレビなどを使ってロボット型を制作した。
本作では目鼻は小型TV、鼻にはメトロノーム、耳にはマンドリン、眉や髭にはクラリネットがバラされて用いられている。初期展示ではTVに高速映像を流し出したようだが、今回はホワイトノイズのみ。
人間とメディアの新たな関係を模索する。
石田徹也(1973-2005)《無題(2)》(1998)
自室らしい狭い部屋に、自分をモデルにした少年が8人描き込まれた大作。
彼らは皆、下半身がなく、スーパーマーケットのレジ袋の中に収まっている。
ボーっとした表情で、素手で弁当やジャムを口に運ぶ者、雑誌を読む者、窓辺でうたた寝する者などなど。口の周りは汚れ、部屋も散らかしっぱなし。
本展チラシ裏面にも掲載された。
加藤泉(1969- )《Untitled》(2017)
加藤がめんめんと描いてきた性別も生死も分からない人物像。内臓も見える。
今回は2つのパネルを横につけた大作。気味はよくないがカラーの美しさに惹かれる。
(続く)
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