(続き)
《エンジェル》(1997) 110×87×81cm
ミュエク初期の代表作。
天使が歳をとるのかどうか知らないが、如何にも中年にさしかかった天使。羽は拡げているが元気がなく、もの思いに沈んで、大きな椅子に力なく腰かけている。天使としてはパンツを履く訳にもいかないが、もう裸でいるのも何だか気が引ける。
下の写真で天使のやるせない視線が見えるだろうか。
サイズはこちらで実感できる。
ミュエクはロンドンのナショナルギャラリーで、イタリアバロック後期のジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(1696-1770)が描いた《ヴィーナスと時間の寓意》を見て、本像の着想を得たと言う。
愛と豊穣の女神ヴィーナスは歳をとらない。彼女から新生児を受け取った、「時間」を担う天使は腰に砂時計をぶら下げ、背中の翼は老いさらばえ、もはや飛べるのかどうかさえ疑わしい。
《舟の中の男》(2002) 159×138×426cm
古びたボートの船首近くに座っている裸の中年男性。
舟にはオールがないから何処かから流されてきたのか? 男は首を傾げ、腕を組んで、これから何処へこの舟が向うのか、途方に暮れているのかもしれない。
舟は人生か?
《チキン/マン》(2019) 86×140×80cm
パンツ1枚を履いただけの老人がテーブルの前に座り、真剣な表情で1羽の鶏と対峙している。
前のめりになった姿勢と目つきからは緊張が感じられ、これから何が起こるか想像がつきそうな気がする。
《買い物中の女》(2013) 113×46×30cm
1人の若い母親が佇んでいる、両手には買い物がいっぱい入ったスーパーのビニール袋。
手が空いていないため、幼い赤ん坊は自分のコートの胸の袷に入れている。
赤ん坊は母親の顔を見上げているが、彼女は心ここにあらず、道の先をボーっと見ている。
生活の疲労感が漂い、母親の責任に潰されそうな表情。背丈は113cmと小さく、頼りなげ。
これは美化しない現代の「聖母子像」か?
先の《若いカップル》とこの《買い物中の女》は、ミュエクがロンドンの路上で目にしたシーンを駐車券の裏にスケッチ、それを基にスタジオで制作したとの事だ。
《マスク�供�(2002) 77×118×85cm
眠りに落ちたミュエク自身の顔を4倍の大きさに拡大した。
台座にめり込む程の重い睡眠、疲労に顔は弛緩し、開いた口からは寝息が漏れるのが聞こえそう。
髭は1本ずつ植え付け、あとから長さを切り揃えている事が、制作映像から分かった。
正面から見て感じられる重さに反し、横に回ってみると実は空洞で、タイトルの通りマスク(仮面)、即ち非現実の虚像として制作された。
最後は大きな1室を使って展示された彫刻というよりもインスタレーション。
冒頭に掲げた本展チラシはこの部分である。
《マス》(2016-17) 頭蓋骨(100×100×150cm)100個
巨大な頭蓋骨の彫刻100個を積み上げるなど展示構成し、観客はその間を歩いて通る。
頭蓋骨の色は2種類あり、ヒビや歯の欠け方など微妙にディテールは異なる。
パリ、ミラノ、ソウルでも展示されたが、それぞれ実際の部屋の特性に合わせて展示は工夫された。
積み重なる膨大な死、戦争、ホロコースト、飢餓、パンデミック、それは人間の歴史そのもの、今も世界中で死は毎日積み上がっていく。
まさに死屍累々。
ロン・ミュエクには大いに興味を持った。
国内には十和田市現代美術館に1点だけ巨大な常設展示があるらしい。
《スタンディング・ウーマン》(2007) 405×155×110cm
是非観に行きたいものだ。
以上にて、6/10、日帰りの上京で観て回った3つの美術館のレポートを終える事とする。
3つそれぞれ大変に内容の濃い展覧会で、大いに満足し、20:00過ぎ東京発のひかりに乗って浜松に向かった。
夕食は駅弁を買い、車中で食べた浜松駅近くの駐車場に車を停めてきたので、呑みたかったがビールはやめにしておいた。
長いレポートをお読み頂いた皆さまに篤く感謝申し上げます。
〈参考資料〉
図録『ロン・ミュエク』
執筆 近藤健一;本展企画森美術館キュレーター 他
発行 2026.4.29 カルチュア・コンビニエンス・クラブ
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