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2026年04月24日11:00

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「近代文学でよむ 文の京の坂と名所」/森鴎外記念館~1

西洋美術館で「チュルリョーニス展」と「北斎 冨嶽三十六景」を観たあと、山手線の西日暮里経由で千代田線 千駄木へ。
次の目的地は森鴎外記念館である。
鴎外記念館を訪れるのは今回が4回目か5回目か。

その度に上る団子坂だが、今回坂の途中で見つけたバーガー専門店「ストランド・バーガーズ」に初めて寄る。
クラシックバーガーとジンジャーエール。C & W風の店は小さいがバーガーは巨大で、且つフレッシュ。
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坂を上がり切って左、鴎外旧居「観潮楼」跡に建てられた森鴎外記念館で今やっているのは特別展「近代文学でよむ 文の京の坂と名所」。

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・会期 4/11〜6/28

「文の京(ふみのみやこ)」とは文京区の事。
この辺りには明治から昭和初期の時代、多くの文豪・作家が住み、その作品の中で特徴ある坂や名所について様々に書いている。
そのあとを辿り、作家と作品そして時代と町について理解を深めようという趣旨である。
先ずは団子坂から。

◆団子坂
江戸川乱歩の初期短編小説『D坂の殺人事件』(1925)に探偵 明智小五郎が初登場する。
作中で「D坂」は「以前菊人形の名所だった」とあり、団子坂の事だと分かる。
「表の大通りには往来が絶えない。声高に話し合って、カラカラと日和下駄を引きずって行くのや、酒に酔って流行唄をどなって行くのや、至極天下泰平なことだ。そして、障子一重の家の中には、一人の女が惨殺されて横たわっている。何という皮肉だ。」
「D坂」の「みすぼらしい場末の古本屋」で殺人事件が起き、たまたま向いのカフェに居合わせた明智が事件の真相に迫る。

江戸川乱歩自筆草稿(但し最終稿に非ず)
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2016年に書いたレポートで私も団子坂について触れている。
以下のリンクから「特別展 森家の女性たち / 森鴎外記念館」(2016.4.26記)を参照頂けたらありがたい。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1952240991&owner_id=3341406&from=list_diary_search

◆菊人形
団子坂の菊人形は江戸時代末期に始まり、明治20〜30年代に隆盛したが、明治42年以降、領国国技館で大掛かりな菊人形の興業が催され、団子坂の方はすたれる。坂沿いにあった植木屋達は関東大震災後に大宮盆栽村(現さいたま市)へ移転、今、団子坂菊人形の活気は文学作品の中だけに残されている。

宮本百合子『菊人形』(1948)〜少女時代の回想場面
「その頃急な団子坂の左右に菊人形の小屋がかかった。馬が足をすべらすほど傾斜のきつい、せまい団子坂の三分の一ばかり下って、人々の足もとがいくらか楽になったところの左側に一二軒、右側に三軒ばかり菊人形の店が出来た。葦簀ばりの入り口に、台があって、角力の出方のように派手なたっつけ袴、大紋つきの男が、サーいらっしゃい! いらっしゃい! 当代は名代の(何々とその名を呼んで)三段がえし、旅順口はステッセル将軍と乃木大将と会見の場、サァ只今! 只今! せり上り活人形大喝采一の谷はふたば軍記! 店々で呼び合う声と広告旗、絵看板、楽隊の響きで、せまい団子坂はさわぎと菊の花でつまった煙突のようだった。」

菊見せんべいののにおいや、客寄せの声、雑踏の賑わいが脳裏に浮かんでくる。

「新撰東京名所図会」(1907)より山本松谷《団子坂之菊》
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◆薮下の道
鴎外『細木香以(さいきこうい)』(1919)
「団子坂上から南して根津権現の裏門に出る岨道(そばみち)に似た小径がある。これを薮下(やぶした)の道と云ふ。そして所謂薮下の人家は、当時根津の社に近く、此道の東側のみを占めてゐた。これに反して団子坂に近い処には、道の東側に人家が無く、道は崖の上を横切ってゐた。此家の前身は小径を隔てて其崖に臨んだ板葺の小屋であつた。崖の上は向岡から王子に連る丘陵である。そして崖下の畠や水田を隔てて、上野の山と相対してゐる。彼小家の前に立つて望めば、右手に上野の山の端が見え、此の端と忍岡との間が豁然として開けて、そこは遠く地平線に接する人家の海である。今の私の家の楼上から、浜離宮の木立の上を走る品川沖の白帆の見えるのは、此方角である。」

幕末の俳人・商人 細木香以の史伝。
細木の「板葺の小屋」はその後鴎外が建てた観潮楼の場所にあって、鴎外は興味を持ち、当時を想像してこの光景を書いたのだろう。

今も「薮下通り」は当時の場所を通っていて、団子坂上の鴎外記念館の東側、崖の上の細い道を南へ下ると根津神社に突き当たる。
「岨道」とは険しい山道や難所の道を言うが、勿論今はアスファルトで舗装されており、周囲に建つのはモダンで立派な家ばかり。

◆根津神社
鴎外『青年』(1910-11/「スバル」連載)
「坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広いこの坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲している。(中略)坂を降りて左側の鳥居を這入る。花岡石(みかげいし)を敷いてある道を根津神社の方へ行く。下駄の磬(けい)のように鳴るのが、好い心持である。剥げた木像の据えてある随身門から内を、古風な瑞籬(たまがき)で囲んである。(中略)純一は拝む気にもなれぬので、小さい門を左のほうへ出ると、溝のような池があって、向うの小高い処には常盤木(ときわぎ)の間に葉の黄ばんだ木の雑った(まじった)木立がある。濁ってきたない池の水の、所々に泡の浮いているのを見ると、厭(いや)になったので、急いで裏門を出た。」

地方から上京した青年 純一が手作りの地図を見ながら、根津神社とその付近を歩き回っている。
「Sの字をぞんざいに書いたように屈曲している」のは根津神社の境内の南側をゆるやかに上がる坂で、この小説のおかげで今も「S坂」で名が通る。

小泉葵巳男《根津権現の驟雨》(1936)〜子供らが雨宿りしているのが楼門(鴎外文中の「随身門」/国指定重要文化財)
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奥には緑青色の屋根の唐門と拝殿も見える。共に国指定重要文化財。

〈続く〉
 
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