2.7(土)に豊田市コンサートホールで名古屋フィルのコンサートを聴いた事は昨日,一昨日の日記にレポートした。
コンサートに行く前に、豊田市美術館で開催中の高島野十郎展を観るため、家は早く出た。
没後50年を記念した大規模な回顧展で、東海圏では初だそうだ。
・会期 1.6~3.15
チラシは2様ある。
高島野十郎は1890(明治23)年に現 福岡県久留米市で生まれ、殆ど美術団体に属さず、師弟関係を結ばず、自然を愛し、独学で独自の写実的な画風を確立、独身を通し、1975(昭和50)年、千葉県野田市の特別養護老人ホームで急性心不全のため亡くなった。85歳。
蝋燭や太陽、満月の絵を繰り返し描いた。
上のチラシに印刷されたのは《蝋燭》(1912-26/本展プロローグ)と《満月》(1963頃/本展エピローグ)。
私は没後40年展を2016年4月に目黒区美術館で観ている。
以下参考。
「高島野十郎展/目黒区美術館」(2016.4.22記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1952132686&owner_id=3341406&from=list_diary_search
見返すと、3,000を超える足跡が印されていて驚く。
出品点数は147と記されていたのに対し、本展は全171点、内14点は関連のある他の画家の作品なので、規模的には微増といったところ。
前回が彼の出生県にあり、作品を多々所蔵する福岡県立美術館からスタートし、目黒美術館、足利市立美術館、九州芸文館と4館の巡回だったのだが、今回は千葉県立美術館、福岡県立美術館、ここ豊田市美術館、大阪中之島美術館、宇都宮美術館、渋谷区松濤美術館と6館回る。
10年前私は、" 高島野十郎と言っても知らない人の方が多いかもしれない。「蠟燭の画家」という通り名でTVに採り上げられた事もあるらしく、好きな人はかなりのマニアか "と書いたのに対し、巡回館の増だけでなく、豊田市美術館への来館者も予想外に多く、彼の人と作品に対する興味が少しずつ静かに拡がっているのを感じたのである。
目黒区美術館展は、時系列の全5章で彼の謎の多い生涯と作品を追っていた。
その後、2018年、BSの「美の巨人たち」が高島野十郎特集を組んだ事がある。
以下参。
「BSテレ東[美の巨人たち]『高島野十郎《蝋燭》~輝きの正体に秘めた画家魂』」(2018.10.10記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1968702832&owner_id=3341406&from=list_diary_search
この番組では特に晩年、東京オリンピックの道路拡張工事のため港区青山から移住させられたのちの千葉県柏市における一人暮らし(*1)と、そこで描いた月の作品、そして制作時期不詳が多い《蝋燭》シリーズ(*2)に焦点を当てた。
(*1)電気も水道もガスも来ていない当地を、野十郎は「パラダイス」と呼んで愛した。
(*2)《蝋燭》シリーズは売るためにでも、展覧会に展示するために描いたのでもない。「焚き付けの用にでもして下さい」との言葉を付け、友人知人や、世話になった人に、感謝の気持ち籠めて贈呈したものである。したがってその殆どにデータがなく、個人蔵となっていて、研究対象になりにくかった。
では、本展の構成はどうなっているのか。
プロローグ「野十郎とは誰か」
第1章「時代とともに」
第2章「人とともに」
第3章「風とともに」
第4章「仏の心とともに」
エピローグ「野十郎とともに」
自分の興味に従い、またこれ迄の記述との重複をなるべく避けて、少しピックアップしたい。
・第1章「時代とともに」
明治時代末頃、文芸雑誌「白樺」を通して日本に紹介されたゴッホに、若い野十郎も影響を受け、うねるような木々の枝や筆のタッチに似た傾向を見せた。
また、大正期、岸田劉生(1891-1929)が草土社同人と伴に展開した緻密な写実描画。その静謐と深い精神性をたたえた北方ルネサンス風の表現も、野十郎に強い感化をもたらした。
下は東京帝大農学部水産学科を首席で卒業して僅か2年、28歳で制作した《静物》(1918)。
陶器や金属器の質感表現に、劉生への親近を感じさせる。
・第4章「仏の心とともに」
野十郎の長兄 宇朗(1878-1954)は詩人で禅宗に帰依していた。彼の影響で、野十郎も青年時代から仏教に深く傾倒した。
対象の写実的描写を「慈悲」の実践と捉え、絵を描く事そのものが仏の教えに接近する事でもあった。
直接的に宗教を示す作品は殆どないように思うが、静物画や風景画にも「浄土」や「生と死」など仏教的なテーマや精神を感じさせるものがある。
(続く)
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