11/11(火)、京都に出て美術館「えき」KYOTOで牧野邦夫展を観る。
正式なタイトルは「生誕100年 昭和を生きた画家 牧野邦夫〜その魂の召喚」。
・会期 10.11~11.16
今後、茅ケ崎市美術館、足利市立美術館に巡回する予定になっている。
今迄私は、総花的な展覧会の中での単発展示でしか牧野作品を観た事がない(と思う)。
したがって、彼について、作品に興味をそそられながらも、それ程深い知識は持っていなかった。
今回は生誕100年を記念する回顧展という事で、初期から最晩年迄110点もの作品が展示された。めったにない機会で、これを観ない訳にはいかない。
牧野は1925(大正14)年に生まれ、1986(昭和61)年、61歳で他界した。まさに昭和という時代を生きた画家だった。
1943(昭和18)年に東京美術学校(現東京藝大)油画科に入学、1945(昭和20)年に召集されたが、戦地に出る前に終戦を迎え、復学した。
卒業後、特定の絵画団体に所属する事なく、個展で作品を発表し続けた。
権威的な画壇とは無縁だったため、彼の作品は殆ど美術館に所蔵される事がなく、個展の機会毎に熱心なコレクターが買い求めていったため、人目に触れる機会があまりなかった。
本展も、出展の殆どが「個人蔵」また「個人蔵で練馬区立美術館寄託」というような表現になっている。110点も集めるのはさぞかし大変だったに違いない。
少年時代に憧れたレンブラント・ファン・レイン(1606-69)を終生愛し、ヨーロッパの古典的な写実技法を突き詰めた。
時代的には、日本ではモダニズム、抽象画への潮流が顕著だったが、そうした傾向には見向きしなかった。
レンブラントを愛すれば、自ずから自画像作品が多くなる。
写実を貫き、だが、そこに(特に背景などに)次第に幻想が入り込んでいった。人々は時に、ヒエロニムス・ボス(1450-1516)やアルブレヒト・デューラー(1471-1528)、ペーテル・ブリューゲル(父)(1525-69)などを感じる事となる。
幻想は、文学から彼の内部に取り込まれる事が多かった。泉鏡花(1873-1939)や芥川龍之介(1892-1927)である。更に遡って『平家物語』なども彼のモチーフとなった。いずれにしても、昭和を生きた牧野自身と同時代(コンテンポラリー)でなく、古い時代へ彼の興味は遡る事が多かった。
展示構成は以下の通り。
・序章「内面(うちなるもの)をみつめて〜生涯のテーマ・自画像」
・第1章「描く対象(もの)を求めて〜模索期・昭和30年代」
・第2章「レンブラントとの対話〜開花期・昭和40年代」
・第3章「想いのままに〜完成期・昭和50年代」
・終章「魂の召喚〜その終焉・昭和60年代」
生まれた年のせいで、昭和〇年は〇歳なので、時代と年代が分かりやすい。
各賞の作品を観ていきたい。
・序章
《武装する自画像》(1955)
牧野の数多い自画像の中でも最初期(30歳)のもの。
キャンヴァスの中に鏡が置かれていて、その中に黒い服と首輪の自分が写っているという変わった構造になっている。
厳しい眼差し、手には短刀が握られている。同題の自画像を彼は繰り返し描いた。その心理はよく分からない。
鏡の淵は額縁となっていて、その周囲に額縁を更に描き込んでいる。
下部には「牧野邦夫 千九百五拾五年五月」と書き入れられていて、まるで墓碑を観るような思いに駆られる。
額縁と銘々またモノグラムはデューラーの影響だろう。デューラーの影響は岸田劉生(1891-1929)の初期の肖像画にも見られた。
これを描いた翌月、肺結核が発見され、牧野は3ヶ月間入院した。
・第1章
《ビー玉の自画像》(1963)
38歳、写実は一層深められている。
指先につままれているビー玉の鮮やかな青色が画面を引き立たせている。
モノグラムは顔の両脇に対称に書かれて、ルネサンス的な落ち着きを見せる。
自画像以外に、姉の肖像画、静物画、風景画など描く対象を模索している。幻想的な作品も描くようになる。
30歳代では、34歳で初の個展、37歳で「安井賞候補新人展」で入賞するなど、活躍が目立ち始める。
(続く)
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