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2021年04月18日19:33

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《アート》三岸家を追いかけて

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寝室に掛けられている小さな『花』1枚。
0号サイズにも満たない官製はがきサイズ。
それでも圧倒的な迫力で、毎日、寝ぼけ顔の視線に飛び込んでくる。
《炎の画家》と称される彼女の波乱万丈の生きざまが、すべての作品に《圧》を与えているチューリップ

女流洋画家・三岸節子。1999年の今日、94年の生涯を閉じた。
本格的に彼女の作品を熟視し、追いかけてみようという気になったのは、昨年6月から。
まだ1年にも満たないのだから、よちよち歩きどころか、首も座っていないひよこ
クソコロナ初期で、ほとんどの人たちが素直に自宅待機に応じていたころ。
一宮市の美術館は貸切状態。
そこにやってきた(あとで知ったが愛知県では著名だという)学芸員さん。
三岸節子の経歴を詳細に教示してくれたばかりでなく「神奈川県からやってきた」シロウト相手に、三岸節子の聖地巡りもアドバイス。
包装紙に使用されている洋菓子店、長男の一人息子(節子から見ると孫)が経営している銀座の画廊、そして、今回の訪問地《アトリエM》家
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こちらは節子の長女が相続し、住居と共に管理をしている。案内役で主宰は、その御令嬢。
生前はアトリエとして使われていたが、最晩年は大磯の別荘で作品を描いていたため、アトリエとしての存在意義は薄れ、やがて歴史的な建造物としての価値を残すだけの建物になっていく。
2か月前に訪館を予定していたが、突如イガイガがやってきて延期となり、今回2回目のアポイントペンギン
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メールですでに到着時間などを伝えておいたので、玄関前で待機していてくれた主宰さんは、到着のあいさつもそこそこに早速、アトリエに招きいれていただいた。
猫「(三岸節子)絵画ファンよりも、建物ファンがほとんど。両方に造詣がある方は珍しいわよハート達(複数ハート)」
誉め言葉として受け止めて、建物の歴史の授業が始まった。
昭和9年築。設計はバウハウスで学んだ山脇巌。
閑静な中野の住宅街に、異質な木造モダニズム。
戦時中、近くに空襲を受けて外面ガラスが崩壊した時に、三岸節子は亡き夫の作品をガラス代わりに貼り付けて風雨をしのいでいたとか、いないとか。(←知らん)
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最近、始めた「貸しスタジオ」ビジネス。
未見だけど、映画『きみの瞳が問いかけている』の主要ロケ地らしく、横浜流星ファンの聖地となっている。
中には「映画を300回も鑑賞した」というツワモノも、このアトリエにやってきて螺旋階段に抱き着いていたそうだ。
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月に一度、アトリエの外庭でカフェランチが行われている。
貸しスタジオとほんの少しだけのカフェ売上以外、見学は一切無料。費用が掛かるはずの建物維持費用は、ほぼ自腹。
それなのに、ふらりとやってきた神奈川県民にエスプレッソをご馳走してくれるのだから、豪快な主宰さんである。
こちらからのお返しは、図録の購入や湘南からの手土産プレゼント尊祖母が終末期を過ごされた大磯を懐かしんでいただこうという大臣からの心付け。
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重要文化財の建物の中で、都合1時間30分。
その8割はガイドを務めてくれた主宰さんの速射砲のように放たれる、ウンチクや三岸家の歴史や自己活動歴。
彼女から建築家「藤森照信」のお名前が出てきた時には、驚きに目を見合わせるしかできなかったペンギン
いろいろあるので、絵画に関しての話題はほとんどスルーすることとなったが、これもまた、ご本人たちだけが知る魑魅魍魎な人生模様。
蟹座「朝ドラは無理だとしても、ドラマにできないものですかね。三岸画伯の半生」
猫「密かに小説を書いているのよ。でも、知り合いのプロデューサーに話をしても、知名度が低いから視聴率取れないって、けんもほろろよ失恋」
そんな軽快明朗な主宰さんは、中野たてもの応援団として歴史的建築物の周知・保存に取り組んでいる。

次なる三岸家巡りへのヒントもいただいて、アトリエMをあとにする。
これもまた、一期一会。圧倒的なホスピタリティに感謝。



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