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2021年01月22日20:02

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旅の友345

『ムーンライトながら』。
自分にとっては『大垣夜行345』電車
旅好きのスタートは公営ギャンブルの旅打ちからだったウマ自転車船
もともと公営競技好きだった川オス少年は、19歳の時に発売された《青春18のびのびきっぷ》に飛びついた。1歳だけサバを読んで、各駅停車の旅に出る。或いは傷心旅行だったのかな泣き顔

乗車駅は品川駅。23時50分を越えていた時間にオレンジとグリーンに染まった湘南電車へ乗り込んで、コンパートメントシートの2人分にどっかりと座る。
青春18きっぷの出だしはそんな感じ。
朝5時台に終点の大垣についたら、米原行きの乗り継ぎに《大垣ダッシュ》走る人
さらに網干まで乗り継ぐ若かりし時代。
公営ギャンブルが溢れる愛知県から、紀伊半島、近畿地方へと毎回足を伸ばしていく。

吉野家でたらふく稼いだアルバイト代を財布に詰めて、ひと夏に2回は往復していたはずだ。
宿泊は車内と、その頃に雨後の筍のように生まれ出たカプセルホテル。
山口瞳の草競馬流浪記をバイブルに、デイバッグの中には小さな時刻表と文庫分が2,3冊。それと、日記帳。
着替えよりも書籍類と文房具に溢れていた旅道具。

大阪で降りたら、なぜか金龍ラーメンを食べるのも、当時のルーティンだった。
カプセルホテル代をケチって、京都ではオールナイトのポルノ映画館で一夜を過ごしていたけど、ガラガラの館内だというのに隣へ座ってくるおじさんに、後ろ童貞を失いかけた苦い想い出も懐かしい。

ギャンブル場。
岸和田競輪でコーチ屋に引っかかったり、岐阜競輪ではゴール前で堂々と帳場を開くダフ屋に仲間入りしたり。住之江競艇では、転覆選手に心無いヤジを笑顔で送る浪速人に恐怖を覚えたり。やたらと日焼けした短髪のおっさんだったかな。
社会人になってからも、薄給時代はまだ《青春18きっぷ》のお世話になっていた。
例えば、紀三井寺競馬場。和歌山ラーメンが全国的に有名になる前に早寿司を食べながらラーメンを頬張って、入場人員がわずか300人足らずの紀三井寺で廃場決定を嘆いていた。
『ムーンライトえちご』が生まれて、足は信越・東北方面へも伸びるようになったけど、やはり記憶は『345』に集中する。

大垣夜行の湘南電車から立派な特急列車に姿を借りて、出世名は『ムーンライトながら』。全席指定席になって、これが転売屋の餌食になっていった時期は、もう夜行列車に乗る必要も理由もなく、新幹線や飛行機の利用できる余裕が生まれて、日本はおろか世界中を行脚できるようになっていく。
とはいえ、苦労して出掛けた旅はそれはそれで忘れない。
当時の日記帳を紐解けば、きっと几帳面に旅打ちの収支も書いてあるだろうけど、今はまだ振り返らない。歴史はいま作られる。過ぎ去った日には想い出がいっぱいだペンギン



電車JR東日本185系、夜行列車の快速「ムーンライトながら」運転を終了
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=95&from=diary&id=6385977



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