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2020年05月25日14:28

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オークス今昔物語

Stay Horseウマ
村上春樹の小説みたいにパラレルワールドが進行中であるなら、コロナのない side B の世界では、5月24日午後3時40分、府中競馬場の指定席で大騒ぎの川崎オスカー日記が綴られていたはずであった。
現実の Side A ではその時間、クルマが1台も留まっていない空き地化した駐車場にクルマを停めて、AMラジオから流れる『第81回オークス』の実況を聴いていたヘッドフォン
それほどまでに熱くなる競馬ファンということじゃない。
ただ、今年はオークスに人一倍の想いが募り、あわよくば府中で観戦したいウマと、人生初めてJRAカードを入手していたほどだった。
結果は馬連を1着−3着で外し、40倍の配当を馬の首一本で逃すことになった。
これにもまた、悔しさは募らない。来年こそ、府中の指定席で次なる樫の女王を探し当てればいいことだ。

ふとしたことで、37年前に開催されたオークスの記憶を辿ることになった。
ノスタルジーついでに1983年のあの頃を書いておこうペン
徒然なるままに、かなり遠くの記憶を頼りにして。
フォト
『第44回オークス』ウマ
川オス19歳、大学1年生。
これまでは大正生まれの父親とか、にきびの浮いた男子たちと通っていた日本中央競馬会の聖地。この日、人生初めて、とても仲のいい彼女を連れて府中の芝へ踏み込んだ。
競馬にも女性ファンをとの掛け声で、オークスを「レディスデー」と称してこの年で2年目。女子先着1,000名にプレゼントされる記念腕時計はおそらく開門直後にSOLD OUT腕時計女子に扮した男子が500人ほど紛れていたとかいないとか。
のんびりとやってきた未成年者2人は、それでも悠々と2階自由席に席を確保して、午前中の第2レースから内馬場でピクニック+ギャンブラーウマ
ジンクスの一つとして確実に言えることは、女子と公営ギャンブルをして勝った試しがないということドル袋きっと、そういうことなんだろう。
当時は枠連しかなかったのだから今よりもずっと当てやすく、当たっても安いドル袋

昭和58年の府中競馬場にはオーロラビジョンもターフビジョンも存在せず、ところどころに建てられた街頭テレビに集まって、サラブレッドたちに声援を送る。
ターフビジョンが府中の杜に姿を現すのは、この1年後の秋開催。
テレビCMなどもってのほか。平均年齢60歳が集う当時の競馬場。
耳に赤ペンさして、その鉛筆と同じぐらいの赤ら顔したおっさんが、左手にワンカップ、右手に両切りピースをくゆらす時代喫煙
19歳の男子学生はまだしも、19歳の女子学生にとっては、今思えば、相当の緊張を強いていたようだ。今さらながら反省してみる。
しかし、心配していた緊張はどこ吹く風。
彼女のビギナーズラックは第2レース6.3倍、第3レース4.4倍の本命サイドを続けて的中し、おいらに至っては大穴狙いで撃沈が続く。

ランチ休憩前の第4レースを買いに行こうと、内馬場から馬道下のトンネルを歩いてスタンド前に出た時に肩を叩かれた。
むっ、いよいよおいらにもお縄がかかる日がやってきたのか。
競馬法を熟読すると(←していない)、「未成年」「学生」は馬券を購入できません手(パー)とある。
果たして地下道を抜けてきた両名は「未成年」かつ「学生」なのだから、ダブル役満。
高級官僚ならまだしも、低級学生の分際ゆえ、訓告よりも戒告処分も覚悟した。
肩を叩かれた方向に振り向いた。
蟹座「?」
犬「これ、指定席の券。私たちはもう帰るので使ってください電球」
電球
まるでイギリスの競馬場からやってきたような紳士・淑女のお二人が、おそらく少年少女面した我々に『4階特別指定席付入場券』(へー593、へー594)を差し出した。
運の強い川オスであることは周知のことだけど、この時の嬉しさは言葉にできないほど。
それまで競馬を外していた虚心感など吹っ切れて、おそらく雲にも上る気分で、手をつなぎながら4階指定席へとエスカレーターを上がっていったことだろう。

指定席に入ってからも、2人は1口100円づつの勝負を繰り返す。
第8レースぐらいになると、彼女なんて窓口のおばさんから、
ブタ「さっき、当たったでしょドル袋」なんて、声を掛けられるようになっていた。
おばさんの記憶力が抜群なのではなく、特別指定席で100円玉1枚の勝負をするカップルなんて、おいら達しかいなかったからに他ならないペンギン
マークカードに記入して味気ない投票券が購入できるようになったのは平成の時代になってからだから、窓口で正確に買い目と金額を伝えるコミュニケーションが必要な時期だった。穴場のおばさんとのお話しも、社会生活には大切なアイテムの一つ。
今でこそ、茶の間でスイスイと馬券を買えるようになってしまったけど、ほのぼのした時代の昔返りもやすらぎの術。

当時のクラシックレースには、その前のレースは「見習い騎手戦」と称して、デビューしてから勝ち鞍が30勝に満たない若手騎手だけの特別戦。
大正生まれの父から「こんなシロウトレースには手を出すな手(パー)」と受けた格言をかたくなに守っていたおいらは、第10レースをケンと決め、彼女をパドック最前列に連れ出してサラブレッドの輝く馬体に注目した。
これから2,400mのコースを走ることを4歳になった牝馬たちは知っているのかいないのか。牡馬に比べてしなやかでまろやかな馬体が艶々に輝いていた。

第44回オークスは枠順的に特異なレースとして語り継がれている。
フルゲート28頭立てで、その中で2頭が単枠指定。
単枠指定がなんたるかはwikiしていただくことになるが、2枠ダイナカール(岡部)と4枠ダスゲニー(大崎)が単枠となったことで、1枠から6枠までが4頭、7−8枠に至っては5頭が混在する。競馬を始めたころのおいら(7歳ぐらい)は、7枠や8枠に馬がたくさん入っていたので、7−8ばかり狙っていた。
しかし、19歳になったおいらは、もうそんな単純なフォーカスは考えない。
これまで第2レースから第9レースまでほぼ坊主の続いているおいらには、第11レース・オークスで当てないことには「ちっ、あんたあれねパンチ」と思われてしまう強迫観が迫っていた。

手にしていたラジオから「ダイナカールにフケが出ました台風」というパドック情報が流れている。どうやら、頭を洗ってないようだ。汚い。
これまで「ダイナカールから買おうかなさくらんぼ」と言っていた彼女も2枠流しを捨てて、4-5・300円の大勝負。抑えに2-4、2-5・100円ずつ。
すでにメインレースのころには、彼女の100円買いが特別指定席中の穴場の注目となっており、オークスでの100円玉5枚の大勝負に大騒ぎとなっていた。ちなみに、この前の年から500円玉というものが発行されていたが、鋳造枚数も限られていて庶民には高根の花。
自動販売機での使用ができる100円玉が安心のコインであった。
一方の彼氏(←川オス)は、とにかく当てないといけない。
なんならエビス買いで全通り買ってしまう作戦もないこともないが、マークカードがないのだから、穴場のおばさんにばれてしまう。
ここはやはり、競馬歴12年の実力を見せつけよう指でOK
買った馬券が4-5・10枚、2-5・3枚、3-5・5枚、3-6・5枚、5-6・7枚の合計3,000円。
それに誕生日馬券の4-7を1枚加えて、当時大学生の大勝負。

レース結果は1着2枠ダイナカール(岡部)、2着3枠タイアオバ(村本)、3着6枠メジロハイネ(的場)で枠連2-3は24.0倍の中穴で決着。
彼女の馬券に��はなく、おいらの買い目はいわゆるタテ目。
「ちっ、あんたあれねパンチ」と言われたかどうかは定かでない。(←言われてない)
http://neon.cside4.com/hrw/jiten/g1/oaks/oaks44.html

令和2年、コロナの無観客レースはファンファーレにも声援が起きないままゲートが開き、およそ2分30秒後に優駿牝馬が名乗り出た。
府中のスタンドでの観戦は叶わなかったし、はずれ馬券を大学生当時の何倍も買ったわけだけど、駐車場で聞いたレース実況が、まるで19歳当時のあの頃を運んできたことは村上春樹の小説なんかよりも奇跡でしかない。



■【オークス結果】デアリングタクトが差し切り史上2頭目の無敗牝馬2冠達成!
(netkeiba.com - 05月24日 15:50)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=261&from=diary&id=6093695

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