今日のちょっと物思い
「いかにして平和は成るのか。政治的な条約の体系によってか。いろいろな国に国際資本を投資することによってか。すなわち、大銀行や金の力によってか。あるいは、平和の保証という目的のために、各方面で平和的な再軍備をすることによってか。違う。これらすべてのことによっては、平和は来ない。その理由の一つは、これらすべてを通して、平和(Friede)と安全(Sicherheit)とが混同され、取り違えられているからだ。安全の道を通って<平和>に至る道は存在しない。なぜなら、平和は敢えてなされねばならないことであり、それは一つの偉大な冒険であるからだ。それは決して安全保障の道ではない。平和は安全保障の反対である。安全を求めるということは、[相手に対する]不信感をもっているということである。そしてこの不信感が、ふたたび戦争を引き起こすのである。安全を求めるということは、自分自身を守りたいということである。平和とは、全く神の戒めにすべてを委ねて、安全を求めないということであり、信仰と服従において、諸民族の歴史を、全能の神のみ手の中におくことであり、自分を中心とした考え方によって諸民族の運命を左右しようとは思わないことである。武器をもってする戦いには、勝利はない。神と共なる戦いのみが、勝利を収める。それが十字架への道に導くところでもなお、勝利はそこにある」
(ボンヘッファー『教会と世界の諸民族』)
ログインしてコメントを確認・投稿する