風呂の日。
近所の銭湯が今月いっぱいで閉店といううわさを聞きつけ、ワイフさんと共にお別れ入浴へ
もろちん、自宅には風呂があるし、10年ほど前からスポーツジムに通っているから、ジムの大きなスパで済ませることが月の半分。
時間がある休日には、ワイフさんと共に日帰り温泉であたたたたたたたまる。
この環境では、あえて銭湯へ行く機会を作るのは容易ではなく、最近は半年に1度程度。
なんとなく、夫婦2人が「ガラガラの銭湯に行こうか

」という気持ちがぴったりと合った時。
そんな程度。
我が家に風呂がなかった頃・・・という時代には記憶がない。
たまに、お湯が出なかったり、風呂が壊れたとき、或いは、父が「風呂行くぞ」と誘ってくれたとき。
そして40年ほど前に自宅を建て直した時期、風呂なし平屋仮住まいで暮していて、風呂はいつも銭湯を利用させていただいていた。
これが嬉しかった。何よりも大きなお風呂に入れるのだから。
自宅から一番近くにあった「夢の湯」では、更衣場に連合赤軍の指名手配ポスターが貼られていて、小学生のおいらに「よど号」や「あさま山荘」の真相を教えてくれた。
「夢の湯」が休みのときは、少し歩いて「記念湯」。
ここにはお湯の色が茶色くて匂いのきつい風呂があって、ちょっと苦手だった。
答えは、今ではどんな日帰り温浴にもある《朝鮮人参の薬湯》。
父に「身体にいいから」と言われて浸かったときは、その夜は身体が臭くてたまらんかった。
そんなおいらでも、今では葛根湯を常用しているほどなのだから、大人になったものだ。
我が家御用達だった「夢の湯」も「記念湯」も、かなり昔に廃業し、「矢上湯」がその位置に代わって久しい。
雨の降る3月26日、風呂の日。
番台に座る82歳のおばちゃんにご挨拶。

「やめちゃうんですってね

」

「もう、ダメよ。息子も違う仕事についちゃったしね。もう50年もやったから、おしまい

」
娘たちが小さな頃は、家族5人でにぎやかしていたけれど、小学生も高学年になると彼女たちも避けるように銭湯から足が遠のいた。
夫婦2人で来るとしても、年に2,3度しか顔を見せないくせに、おばちゃんたら「いつもありがとうね」と、「最後だから、今日はサービス」なんていいながら、400円そこら×2名分の入浴料を返してくれる。
入浴後のコーヒー牛乳はお約束。
腰に手をあてて一気飲みするコーヒー牛乳。
なぜだろう。今日はしょっぱさえ味わった
とはいえ、我が街・川崎はまだまだ古き善き街であり、銭湯は未だにそこかしこに残っている。
温泉でもないのに温泉と言い切る「平間温泉」。
倶梨伽羅紋々な住吉連○御用達でちょっと怖さが漂う「矢向湯」。
無料で小さなタオルを貸してくれる「小倉湯」。
朝湯があるからとウォーキングがてらに立ち寄った「今井湯」。
確か中2階みたいな風呂があったと記憶している「橘湯」。
書き並べてみたものの、矢上湯の気軽さや親しさには程遠い。
家風呂は当然ながら、スポーツジムや日帰り温泉の比率がますます高くなり、銭湯に行く機会が激減するこれからの人生。
最後の銭湯を出るときに番頭のおばちゃんへひと言。

「いいお湯を今までありがとうございました(ペコリ)」

「へっ、おとうさん(←おいら)、銭湯から出るたびに"湯冷めするから、温泉のほうがいいよね”なんて言ってたくせに

」

「気のせいさ

」
高松宮記念
競馬成金なう

温泉施設 レジオネラ菌で死亡
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4495463
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