3連休明けの火曜日。
川崎から東名高速で東京町田でちゃっちゃと仕事(自称)をこなし、一般道で帰路に着く
この時点で、いまだ太陽は南中にあり、強冷の黒マーチから外へ出ることに躊躇する。
しかし、夕刻の飲み会を控え、意を決してクルマを置き去りにして、横須賀線に乗り込み東京へ
1日を2回にも3回にも使い分ける貧乏性オスカー。午前と午後の仕事(自称)がまるっきり違う。
暑さの中でも空席を見つけやすい八重洲ブックセンター脇に隠れたスターバックスにて。
《ライムなんちゃら》で至福のとき
スタバのねぇちゃん、氷入れすぎだぞ

と、柱のカゲから覗いていたが、いざ、ねぇちゃんから「ライムなんちゃらグランデ、お待たせいたしました〜

」と呼ばれると、笑顔で受け取るおいら。
そんなもんだ。
マイミク・イザベルさんからこんなネタ。
MAJOLICA MAJORCA × 宇野亜喜良『マジョリ画 かわいいを引き出す、魔法の似顔絵。』
https://mj-gift.shiseido.co.jp/
やってみた。
似ている(当社比)。
今夜は日記になるようなネタもない。
コラムからネタを引っ張り、携帯の歴史を振り返っておしまい。

「ケータイ」誕生から30年!激動の歴史を振り返る
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=144&from=diary&id=4099671
おいらの携帯は平成8年からだと思う。
はっきりと年数を覚えているのは、その年の新入社員のおかげ
記憶力なう。
で、携帯電話を上司も同僚も猫も杓子も、多くの人びとが持ち始めてから数年がたったその頃。
よくあるツッパリ兄ちゃん同様、「ふん、公衆電話があるんだから、携帯電話でプライベートを管理されるのは嫌だもんね。ケータイなんて、絶対に持たないんだもんね」という、屁のツッパリのような理屈で持っていなかったんだけど、当時のおねえちゃんから「友だちがケータイの販売員やってるから作ってあげて

」などと両目ウインクしながら頼まれ、ふにゃふにゃしながら契約。
多くの友人がドコモユーザーなのに、そんな理由でTu-Kaデヴューとなった。
まるで、ビデオテープの出だしがベータであったように、あるいはSNSのデヴューがmixiであったために、今もなおFaceBookにライバル心を抱いている川〇オスカーのように、Tu-Kaユーザーのコンプレックスはひどいものだった。
おいらにTu-Kaを勧めてくれたおねえちゃんは、乗り換えることが人生の術であることを証明するかのように、あっさりとドコモに乗り換えて、さらに(略)
契約変更も、機種変更も、面倒くさいの一言で使い続けていたら、自然にキャリアはDDI→KDDI→auと名前を変え、i-Modeユーザーとの格差だけは確実に広がっていった。
結局、我が家近隣のauショップでの壮絶なクレーマー攻撃(←主演:川崎オスカ●)により、ちょうどいい頃にソフトバンク/i-phoneに乗り換えて、今に至る。
auとの戦いは大勝利に終わったが、100年に1回あるかないかのマイ激怒だったから、二度と踏み入れたくないと考えていたauショップ某営業所。
迂闊にも両親の携帯契約を残していた。
6月12日、親の携帯電話の調子が悪く、恐る恐るショップへ修理の相談。
快く修理見積もりを受けてくれたが、案の定、連絡なしの放置プレイが7月に入っても続くことになっていた。
ツーカーどころか、スカスカである。
意を決して、auショップにTEL。
1度目は5分ほったらかしで待たされたので切電。
2度目は担当者●●さんから、
「伺っていた携帯電話の控えた番号がわからず繋がらなかった」というエクスキューズ。
控えていたという携帯電話番号を伺ったら、9桁だった。
6秒の深呼吸。
53年間、怒ることを知らない自分自身のルーティン。
きっと、連絡先を伝えた時の自分の滑舌が悪かったのだ。
なにやらと様々な言い訳を取り繕っている電話口のお兄ちゃんに対して、目を閉じて、頭の中で合掌をしながら、心落ち着けて語る。

「もう何も言わなくていい。●●さん、よく考えて欲しい。6月に携帯電話を預けて、そのまま何一つ連絡もなく、5週間後にこちらから電話を入れたら、”控えていた電話番号が間違っていて、今まで連絡できなかった・・・”。●●さん、もしあなたがこのような対応をされたらどう思うか、どう感じるか。そして、あなたの気持ちを鎮めるにはどうすればいいか、上司に相談してから電話をください。」
これで切電。
5分後、彼からの電話が入り、結果的にはすべて解決し、修理を終えた元Tu-Kaは両親の手元に戻ってきた。
当社比だがクレームを付けるという、とても珍しい己の姿。
それも2度目ということになる。
きっと、相性が悪い。
それだけのこと。
ログインしてコメントを確認・投稿する