今日のちょっと物思い
三島はこう言う。
愛国心の「愛」の字が私はきらいである。自分が
のがれようもなく国の内部にいて、国の一員であ
るにもかかわらず、その国というものを向こう側
に対象に置いて、わざわざそれを愛するというの
が、わざとらしくてきらいである。
こういう実体のないものを「愛国心」と思っている。いや思わされている。いまの日本人が抱えている矛盾が表現されている。そして三島は言う。
もしわれわれが国家を超越していて、国というも
のをあたかも愛玩(あいがん)物のように、狆(
ちん)か、それともセーブル焼の花瓶(かびん)
のように、愛するというのなら、筋が通る。それ
なら本筋の「愛国心」というものである。
ペットや花瓶を愛するように、この国を愛する。それが君たちの信じている「本筋の「愛国心」」だと五十年近くも前の三島から言われているのだ。さらに、「愛」という言葉は、日本語ではなくて、キリスト教から来たものだろうとも言う。
もしキリスト教的な愛であるなら、その愛は無限
定無条件でなければならない。従って、「人類愛
」というなら多少筋が通るが、「愛国心」という
のは筋が通らない。なぜなら愛国心とは、国家を
以て閉ざされた愛だからである。
三島の言葉は、現在<愛国心>を唱えている人たちの心情とその不毛さを見事に衝いている。勇ましい言葉、スローガンだけが先行して、人間の心情や行動がついていっていない。そんな日本の現在の状況をも指摘しているようだ。
(鈴木邦男『<愛国心>に気をつけろ!』)
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