悔い改めるということは、単に悪かったと思うだけではいけないのだ。二度と繰り返してはならないのだ。だが、私は生きている限り、日々人を傷つけて生きていくような気がする。そうした、ぬきがたい人間の冷酷と傲慢をわたしは一生抱いて生きていくような気がする。絶望を感ずるが、だが絶望はするまいと思う。こんな醜いわたしであっても、神の子イエスの尊い血によって神はわたしをうけいれてくださるのだから。
わたしはただ、すべての人の前に、ゆるしていただきたいと手をついてあやまる思いである。そして、「つもりだった」がという、生活から少しでも脱け出たいと切実にねがう。
(三浦綾子『生きること思うこと』)
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