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2019年06月28日00:32

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エロ本を作っていた、その5

 昭和が終わろうとしていた頃。筆者は近づいた世紀末に漠然とした不安を抱きながら、やっぱりエロ本を作っていた。生活は食べるのにも困るほど貧乏だった。何十万というギャラを現金で支払って撮影をしているのに、その撮影の夜には、カップラーメンを食べ、菓子パン一つを二人で分けて食べたりしていた。打ち合わせの喫茶店のコーヒーは六百円だったのに、夜はインスタントコーヒーばかりだった。そんな生活が楽しいはずもなく、気分はいつも鬱々としていた。死にたいぐらいに落ち込んでばかり。子供の頃から貧乏にも惨めさにも寂しさにも慣れた人たちしかいないマイナーエロ本業界だった。エロ出版社の社長には、子飼いの編集者たちに食事をご馳走する力さえなかった。安いうんどんをコンロが一つだけのキッチンで作って食べさせるぐらいしか出来なかったのだ。うどんの具はちくわぐらいしか入っていなかった。安いてんぷらさえないのだ。
 社長そのものが、いつ夜逃げしても、もっと最悪のケースに至ったとしても、少しの不思議もないような人たち。
 そんな中、少しでも甘えた人は、数日で消えて行った。辛いとか、苦しいとか、寂しいと言えば、それが呪いの言葉となって、それを発した人を消してしまうのだ。それと分かっていたからこそ、残っている人たちは、皆、強がった。空腹をダイエットを言い張り、どうせモテないのだから撮影や取材でいい思いが出来るのが幸福だと威張って言っていた。趣味などない。エロ本を作ることこそが趣味だとも言っていた。本当は、美味しい物が食べたかったし、ボーリングやビリヤードがやりたかった。しかし、そんなことは言わなかったのだ。
 弱音を吐けば、それで終わりだと知っていたのだ。誰かに甘えれば、そのまま奈落の底だと知っていたのだ。
 赤の他人しかいない部屋の中で、デザインが得意な編集者からデザインを学び、文章が得意な編集者にリライトを頼み、険悪な関係の中で、ぎこちなく、協力しあっていた。それが最大の節約になると知っていたからだ。
 しかし、そんな暗く貧しいのに、そこにいた人たちは、社長まで含めて、皆、熱かった。自分が作りたいものが明確だった。自分が書きたいものが明確だった。そして、そこに向かって努力していたのだ。出来るかどうか、書けるかどうかも分からないもののために、必死に努力していたのだ。
 食べる物も食べずに睡眠さえままならないような生活のために、鶏がらのような人たちばかりしかいなかった。それでも、ただ、ひたすらに熱いのは、どうしてだったのだろうか。どこにあんな熱量があったのだろうか。筆者も痩せていた。フラフラだった。しかし、病気になっても病院に行くお金も時間もなかったから、病気にならないように注意していた。
 その反動で、マイナーエロ本が売れ始めた頃、筆者は今度は太りはじめた。しかし、その頃には昭和は終わっていたのだ。
 昭和の終わり頃。貧乏に耐えられずに死にたくなりながらもエロを熱く語り、空腹にフラフラとしながらエロ本を作っていた。そのエロ本はその後に売れて行くことになる。しかし、あの貧乏のどん底で作っていたエロ本ほど面白いものは、もう作れなくなっていたのだ。昭和のエロ本は貧乏のどん底にいる人たちの熱い思いだけで出来ていたのだ。そして、それがゆえに面白かったのだ。
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