どうして自分はエロ本に人生を賭けていたのか、今となっては分からない。あの頃にはエロ本に対して、いや、エロ業界そのものに対する強いアンチテーゼがあったのかもしれない。エロ本の読者をバカにしたようなポルノ小説が多かった。マニアをバカにしたようなマニア雑誌が多かった。これじゃない。そうじゃないんだ。そんな思いでエロ本を作り、エロビデオを作り、エロ風俗を作っていたような気がする。
思えば、周りにいたエロ関係者たちの多くも同じようだった。皆、何かに憤っていたのだ。それが、いつの頃からか、エロは金のため、エロ本作りは他の仕事より楽だから、と、そうした理由でエロ業界にいる人たちが増えていたのだ。
たかがポルノ小説、たかが撮影、たかがエッセイ、たかが風俗取材、そんなもののために何十時間も企画会議をして、準備して、そして、完成させた。たかがに、とことんまで拘る、そんな人たちがエロを支えていたのだ。セックス出来ればいいという人はエロ業界には不向きだったのだ。なぜなら、エロ業界というのは、たかがセックスにどこまで拘れるか、と、そう考えた人たちの居場所だったからなのだ。
その思想はサロンに根付いている。
たかが朗読の会。普通なら、有名な本を持って来て、それを読んで、こんな小説を知っている自分はすごいだろう、と、そうやるところなのだ。それでいいのだ。ところが、サロンは、たかが朗読のために、それだけのためのオリジナル作品がもう、数百時間分にもなっているのだ。
たかがバーベキューも、ガチャピンとなってパロディ映画などを録るというものになった。そして、今回も、ある人に会いに行くというだけの宿泊企画なのに、大作が横たわった。たかが旅行も、ただの旅行にしないのだ。
たかがビニ本。たかがポルノビデオ。たかがエロテープ。たかが性風俗。しかし、そのたかがに拘っていた人たちがいた。
そこで、こんな企画はどうだろうか。
「昭和の終わりにエロ本を作っていた人たち」
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