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2022年07月30日23:55

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映画を見ない日の出来事341

映画を見ない日の出来事341

「戦争と平和の資料館 ピースあいち」というところで、「戦争プロパガンダ展」という企画展示をしている。
本日、その関連イベントとして「蓄音機で聴く軍歌・戦時歌謡」コンサートというのがあったので参加してきた。
タイトル通り、手回し蓄音機を使い、戦前戦中の頃に発売されたSPレコード(1分間に78回転)で、軍歌や歌謡曲を聴くというもの。
じつは蓄音機が奏でる生の音をうまれてはじめて聴いた。
柔らかくて、少々くぐもった音が耳にやさしい。
手回し蓄音機というぐらいだから、ときどきハンドルを回している。
一度だけ急に音がゆっくりと伸びだしたので、担当者が急いでハンドルを回しだした。
直後の説明によると、手回し蓄音機はターンテーブルをゼンマイバネで回しているという。そのため、ゆるくなったゼンマイバネを巻くためにハンドルを手回していたのだ。
そうなんだ!!この歳になるまで、まったく知らなかった。

レコードコンサートは日中戦争が始まった昭和12年の「露営の歌」♪勝ってくるぞ勇ましく ちかって国を出たからは〜に始まり、大政翼賛会発足の昭和15年の「隣組」♪とんとんとからりと隣組、格子を開ければ顔なじみ〜などを経て、敗戦からしばらく経った昭和27年、フィリピンに収監されているBC級戦犯たちが作った「あゝモンテンルパの夜は更けて」まで、この15年間に当時話題になったりヒットしたりした全13曲がかけられた。いずれも知っている歌ばかりだった。
小学生のころ、戦争ブームがあり、いずれの曲もテレビでよく流れていたので、自然と覚えたみたい。
1曲ごとにボランティアの方が解説をしてくださった。
「隣組」の解説で、何かあったら助け合うという意味での隣組であると同時に、隣家がスパイではないかと互いに監視し密告するためでもあったという解説には目から鱗だった。
「戦争プロパガンダ展」でも「スパイ」(あれ?敵性語だなあ)に気をつけろ!みたいな標語がいくつかあった。
幼稚園のころ歌った昭和19年の「お山の杉の子」♪むかし、むかしそのむかし、椎の木ばやしのすぐそばに〜の歌詞が、戦中と敗戦後では大きく改変されたということを初めて知った。
戦中は少国民向けの戦意昂揚歌だったものが、戦後は国土復興の植樹祭の歌としてうたわれたという。
残念ながら幼稚園のころに歌ったのが、どちらの歌詞だったが覚えていなかった。
作曲家の古関裕治が、自らが作った「若鷲の歌」♪若い血潮の予科練の〜といった戦意昂揚歌に影響を受け、多くの若者たちが死んでいったことに、戦後公の場で「責任を感じる」とのべたのに反し、作詞家のサトウ・ハチローはほおかむりしたままだったという。
まあ、解説に立ったボランティアの方の思い入れがあるのだろうが、面白い指摘だった。

ところで敗戦後、日本映画の世界でも戦意昂揚映画に手を染めてしまった人たちへの責任追及があったはずだ。
関連する本があるとおもうが、まだ一冊も読んだことがない。
ちょっと勉強してみたくなった。



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