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2020年04月02日21:52

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■鉄道旅行記 8

■鉄道旅行記 8

青春18きっぷを利用して、JR線全線完乗の旅にでかけた。

●3日目 3月27日(金)

7:50 益田発

島根県の益田から山陰本線の西側を走り、下関に向かった。
このとき、1両のワンマン車に乗っていたのだが、しばらくして私を含めた10名ほどの乗客が、誰ひとりマスクをしていないのに気づいた。
東京あたりと比べると新型コロナへの対応に温度差があるなあ、とおもったものだが、いまになって考えると、マスクなどの物資が都会に集中してしまい、地方にまで手が回っていないような気がした。

12:19 下関着

二泊三日をかけ山陰本線を完乗。
海岸線と、黒い屋根瓦の民家が密集した山陰地方特有の景観が見どころだった。
ほとんどの区間が単線だったこともあり、時間は掛かったが、「乗ったあ!」という満足感は高い。
この時点で、JR西日本の未乗が残すところ1区間の8.5キロとなった。
この残った1区間が、妙なところを走っているのだが、それはまた別の日のお話。

夕方まで時間が余ったので、平成筑豊鉄道の田川線と伊田線に乗った。
平成筑豊鉄道は第三セクターで、国鉄時代は石炭の輸送で活気に満ちていたという。
私のバイブルである宮脇俊三の「時刻表2万キロ」によると、炭鉱時代の面影が残っている区間とあるが、書かれてから40年経ったいまは、乗る人も少ないふつうのローカル線だった。

小倉泊


●4日目 3月28日(土)

この日の起点は、一昨年の冬に続き訪れるのが2度目となる若松駅。
前回は戸畑から若松まで、任侠映画の『花と龍』の一場面のように、渡し船を利用したが、今回はバスで若戸大橋を渡ってみた。
洞海湾を見下ろすことができたが、あっという間だった。
昔は若戸大橋を歩くことができた。遅れてやって来たことが、まことに残念。

若松から乗換え駅である「恨みの折尾駅」へ。
どうして「恨みの折尾駅」かというと、前回の九州旅行の際、折尾駅で迷子になってしまったからだ
自分では筑豊本線に乗ったつもりが鹿児島本線で、気がついたら博多だった。
今回も十分注意したつもりが、やっぱり迷子になり、結局乗り遅れてしまった。
いささかボケ気味とはいえ、どうして大のおとなが駅で迷子になったかというと、乗換えのホームが離れているだけでなく、まったく想定外のところにあったため。
たどり着くまでに、飲み屋街の横を通ることになる。
たどり着いてみれば、同じ駅なのに、いっぽうは高架の都会的なつくりに対し、乗換えホームのある駅舎はのんびりしたローカル線の駅そのもの。
どれだけのんびりしてたかというと、猫が住んでいた。
ぼんやりしてたら、駅とはおもわないようなところだ。

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ようやく折尾を出発してみれば、以降は順調に旅程をこなすことができた。
前回乗れなかった筑豊本線に乗り、新飯塚へ。
新飯塚から後藤寺線に乗りおえ、日田彦山線(ひたひこさんせん)に入った。
日田彦山線は数年前の豪雨被害ため、かなりの区間が代行バスになる。
雨模様でときおり強く降ることもあったが、バスは時刻通りの運行だった。
その日田彦山線で、終着駅にもかかわらず、その名が「夜明」という無人駅が、とてもいい雰囲気だった。

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小倉泊


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