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2018年10月04日02:24

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映画日記 『マドモアゼル』

2018年10月3日(月)

『マドモアゼル』(1966年)
トニー・リチャードソン:監督
シネフィルWOWOW【録画】

タイトルは知ってたが、どんな映画なのか予備知識を仕込まずに、録画の再生ボタンを押した。
見出したら止まらない。

フランスの片田舎にある農村で、村の子どもたちに勉強を教えている女教師がヒロイン。
独身で学があり、いつもきちんとした身だしなみの彼女を、村人たちは親しみをこめて「マドモアゼル」と呼ぶ。
マドモアゼル(=お嬢さん)といっても、あきらかに30歳は過ぎていた。
浮いた噂のひとつもない彼女を、村の教会の神父は少々哀れみの目でみていた。
パリに行けばあの程度の女はゴロゴロいると、口さがない村の男のひとりが言う。
そんな村で放火とおもわれる火事や、ため池の水門をあけて家畜舎を水浸しに為てしまう事件が相次いだ。
そんな事件があるたびに、村へ息子のブルーノといっしょに木こり仕事の出稼ぎにきているイタリア男・マヌーが、危険をかえりみず、救助作業の先頭に立っていた。
広い肩幅と力仕事できたえられた肉体が、火の中で、あるいは水に濡れて輝いていた。
現場では、毎回そんなマヌーの姿を遠目で見ている、マドモアゼルの姿があった・・・・

大傑作だ。
ひとことでいえば、性的欲求不満のオールドミスの話ということになるが、そんな下世話な範疇だけにおさまる映画ではない。

それでは、何がどうおさまらないのか?

と問われても、うまく答えられない。
答えにはならないだろうが、『マドモアゼル』を見ながら湧き上がってくる感情にいちばん近いのは、何もかもがきれいなのに、その中は腐っているというアニエス・ヴァルダ監督の『幸福』だった。
『マドモアゼル』も『幸福』も、ラブコメやメロドラマのように、男と女の下世話な映画として消費できないのだ。
もちろん、ラブコメやメロドラマが、映画として価値が低いと言いたいわけではない。
『マドモアゼル』や『幸福』は、見る者に楽しい時間を提供するというより、自分の心の奥底をのぞかれたような、不安な気分にさせてしまうのだ。

鬱屈とした田舎暮らしの中で、マドモアゼルに巣くってしまった邪悪さ、そしてその邪悪さを知りながら、最後まで彼女を糾弾することができなかったブルーノ少年のアンビバレント、登場人物たちの複雑な感情をセリフにたよらず、映像を積み重ねることによって見せていく。

マヌーが捕まえた蛇を、マドモアゼルがおそるおそる触るシーンがある。
蛇が何を象徴するのかは、中学生でも理解できる。
ものすごくベタなシーンだ。
しかし、ベタなシーンと失笑することもなく見入ってしまった。
身を固くした蛇にマドモアゼルの細い指が触れる。
その映像から、彼女が感じたマヌーというイタリア男の、ペニスの重みが伝わってきた。
マドモアゼルが欲しかったものが、文字通り手にとるように分かる。
つまり、ベタではあるが、凡庸な撮り方ではなかったのだ。

撮影はデイヴィッド・ワトキン。
逆光もいとわないモノクロ画面の美しさは特筆ものだった。
そのモノクロ画面に、マドモアゼルに扮したジャンヌ・モローが映える。
そのジャンヌ・モローに恋した監督のトニー・リチャードソンは、妻だったヴァネッサ・レッドグレーヴと離婚することになったという。


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