「ところで『愛』とは何でしょうか。愛は人間を幸せにする意志とも言われています。しかし私たち人間は、本来極めて小さな愛しか持っていない者であると言えないでしょうか。では、先程の誓約は何のためでしょう。人間はたやすくは愛し得ない者であるとの自覚
この世には、いわゆる役に立つ人間ばかりが生きているわけではないのです。重病人、(中略) 身動きもかなわぬ老人等々。しかし、神はその人々の命と、健康でばりばりと働いている働き盛りの人の命とに、何の差もつけてはおりません。どの命も神の前には等しく
私は思うのですが、夫婦にせよ、親子にせよ、兄弟にせよ、友人にせよ、先生と生徒にせよ、労使関係にせよ、その人たちの本当の顔が現れるのは、ほめられた時ではなく、たったひとこと注意をされた時ではないかと思います。ふだん、どんなに仲のよい同僚に見え
「辛い目に会わせてくれる人が、私たちを人間にしてくれるものなのですよ。いい人だけが、私たちを育ててくれるものではないのですよ。」(三浦綾子『愛の鬼才』)
「人生にはもう駄目だと思う時がある。が、いかなる時も、希望を持って欲しい。そこから、きっと新しい人生がひらけて来ますから」(三浦綾子『ナナカマドの街から』)
狭き門から入るとしあわせの国に入れるのよ。但し、狭い門だから、自分も細くならなきゃいけないの。自分をかわいいという思いや、傲慢や、いろいろな執着や、そうした不要なものを脱ぎすてて細くなるのよ。(三浦綾子『泉への招待』)
人の言葉というものは、私たちが思っているよりも、もっと強い力を持っており、もっと神秘的なものだと私は思う。(三浦綾子『忘れえぬ言葉―私の赤い手帖から』)
今日のちょっと物思いアメリカの兵隊が日本の少女を暴行。アメリカの兵隊が強盗殺人。不法侵入、万引き、酒気帯び運転・・・・・。自分が東京にいて、東京を中心に報道する全国紙を読んでいると、米兵が起こす事件のニュースには、米国政府側からも、日本政府
役人を偉いとか、位のある者を偉いとか、金のある者を偉いと思ってはならん。権力のある者ほど、人間を虫けらのように思いやすいものだ。(三浦綾子『嵐吹く時も』)
『銃口』展 2日目今日は生憎の小雨模様でしたが、『銃口』展は元気に開催していました!!ガウチャー・ホール・エントランスに看板を立てて戴きました!目立ちますね(^^)教会でチラシをもらった方、文学館から案内を受け取った方、友人知人、職員の方、
シューマンの言葉に、「みんなが第一バイオリンを弾きたがったら、管弦楽は成り立たない」という言葉がある。みんなが最も坐りたい場所、それはどんな世界にもある。小学生の世界でも、大学教授の世界でもそれはある。神が置いてくれた場所、その場所を喜ぶ時
「いったい、今度の戦争で、どれだけの若い人たちが戦死したのかねえ。保志も死んだ。町内の豆腐屋さんの息子さんも死んだ。わたしの友達の息子さんも死んだ。戦争はむごいねえ。」竜太はそのキクエに答えて言った。「お母さん、死んだのは兵隊だけじゃないよ
私は六十六歳の今日までに、いろいろ病気もし、様々な人にも会い、抗しがたい悲しい事件にも会った。カリエスで寝たきりの数年間とか、癌を宣告された時とか、三浦が重篤な病に臥した時とか、肉親の死に会った時など、幾山河を越えて来た。そうした中にあって
『私たちは、毎日生きています。誰かの人生を生きているのではないのです。自分の人生を生きているのです。 今日一日は、あってもなくてもいいという一日ではないのです。 もしも、私たちの命が明日終わるものだったら。きょうという一日がどんなに貴
人間は死ぬ日まで、神の恵みなしには呼吸一つできないことを、どうして私は忘れていたのだろう。「苦しみに遭ったことは、私にとってよいことであった」という旧約聖書の言葉は、私にもそのままあてはまる言葉であった。この病気がどのようになるにせよ、神は
「『自分のことは、自分が一番よく知っている』という人がよくあるが、わたしはあまり信じない。自分よりもむしろ、傍ら(かたわら)の人のほうが、わたしたちの姿を適確に見ていることが多いからだ。(三浦綾子『夢幾夜』)
虚無は、この世のすべてのものを否定するむなしい考え方であり、ついには自分自身をも否定することになるわけだが、そこまで追い詰められた時に何かが開けるということを、伝道の書にわたしは感じた。 この伝道の書の終わりにあった、 「汝の若き日に、汝
自分の非を素直に認めたり、まぬけさを客観的に笑えたら、これは立派だよ。人間、立派ということは、こういうことじゃないかな。ここには劣等感も傲慢もない。あるがままの自分を見つめる澄んだ心だけがある。寛い心と言ってもいいね。(三浦綾子『足跡の消え
日本アッセンブリー教団ニュース『アッセンブリー』に『三浦綾子の作品から学ぶ信仰』が連載されています。著者は三浦綾子読書会の森下辰衛代表です。アッセンブリー教団と森下代表にお断りして、ご紹介させて戴きます。3回目の今回タイトルは 『氷点』
人間というものは、自己本位なものである。常に、自分の側に立ってのみ判断してしまう。相手と自分はちがう人間なのだということが、心の底からわかっていない。だから、すぐに十把ひとからげの、ものの考え方をする。ということは他の人をも、自分をも、十把
『銃口』展に向けて その35開催まで10日となりました。今日は、教師時代の三浦綾子(堀田綾子)を知る教え子の方の記事を見つけましたので、ご紹介します。http://www.dominiren.gr.jp/modules/news1/print.php?storyid=611貴重な証言がいくつもありました。
今日のちょっと物思い三島はこう言う。 愛国心の「愛」の字が私はきらいである。自分が のがれようもなく国の内部にいて、国の一員であ るにもかかわらず、その国というものを向こう側 に対象に置いて、わざわざそれを愛するというの が、わざとらしくて
時計を盗られたとか、靴を盗まれたとか、少しばかりの金をすられたとかのために、心を深く傷つけられるということは、それほど多くはない。生活を根底から覆されるほどの被害でない限り、いつかは忘れ去っていくのではないか。だが、人の不機嫌にふりまわされ
失敗は人間になくちゃあならねえものかもしれねえと、思っている。一度も失恋もしたこともなければ、金のやり繰りに苦労したこともない人間なんてえのは、どんなものかねえ。人の涙も、悲しみも、思いやることができねえんじゃねえか。(三浦綾子『愛の鬼才』
確固とした自己を持った人間は、そうみだりに、体裁が悪いだの、恥ずかしいだのと、外面的なものにこだわらぬようになるはずだ。人間として、真に恥ずべきことを知っているのはこういう人たちなのである。(三浦綾子『あさっての風』)
『銃口』展に向けて その316月14日(火)の開催まで13日になりました。今日も「北海道綴り方連盟事件」のことを取り上げます。「『獄中メモ』は問う 作文教育はなぜ罪にされたのか」の著者である佐竹直子さんのラジオでのインタビューの音源がアップされて
今までに地球上にどれだけの数の人間が誕生したのか、誰も数えることができない。が、一人として同じ人間が誕生していない。生まれた者すべてが、地球始まって以来、全く新しい存在なのだ。自分と同じ人間が一人もいないということ、そのことだけでも真面目に
私が死ぬときは結局、周囲のすべての人々に対して「いろいろありがとう」ということと「許してくださいね」ということと、この二つしかないような気がします。ほかにも探せばいろいろあるけれど、この二つの言葉だけは素直に、本心から言って死にたいですね。