さあ胸を張ろうではないか。そして「私はこう生きてきました。私の生き方を見てください」といえる生き方を、きょうからしようではないか。(三浦綾子『孤独のとなり』)
人間は、小野村牧師のように、長い間その人を慰め、励まし、絶望から立ち上がらせる言葉を、胸にたくさん蓄えておかねばならない。一生涯使っても使い切れぬほたくさんに。
「好きだということぐらいで、事を決定してはならない」その言葉を、私は忘れることができません。現代は、自分の好きなことをするのを、何か新しい生き方のように錯覚している人が多いのです。(三浦綾子『小さな郵便車』)
<舌を制し得る人は一人もいない>とは聖書の言葉。然り。人間誰しも、言わねばよかった、という悔いに苛まれなかった者はいない。(三浦綾子「北国日記」)
正しい言葉は人の耳に痛い。親にでも、きょうだいにでも、または友人、職場の同僚にでも、ちょっと注意されただけでカッとなり、憎くなるのが人間である。(三浦綾子「旧約聖書入門」)
人を責める時は、相手が申し開きのできないような理攻めは、いけない。必ず相手に逃げ道をつくっておいてやるものだ。(三浦綾子『生きること思うこと』)
やさしさとは、相手の身になって考えると共に、そのやさしさを意志によって持続することにあると思う。意志と知性に支えられないやさしさは、それはいわば、気まぐれであって、真のやさしさではない。(三浦綾子『孤独のとなり』)
『愛は自然に湧くのではなく、学ぶことによって得られるのだ。むろん、生来優しい傾向の人間はいる。 だが、一度も愛そうとする意志を持たずに、どうして人に優しくすることができるだろう。 愛は意志なのだ。とにかく学ぶ気になれば、この世には実に多くの
発売になりました。http://bp-uccj.jp/publications/book/4818409248/三浦綾子366のことば三浦綾子:著森下辰衛:監修 松下光雄:監修協力四六判 並製 160ページ1,620円税込ISBN978-4-8184-0924-8 C00952016年07月『氷点』『塩狩峠』『銃口』など─心に響
『人間はその時点、その時点でものを考える。 非常に辛い思いをしている時は、その辛さが永遠につづくように錯覚する。 人生には時々、 「あの山を登れば、広い大きい海が見える」ということがあるものだ。 袋小路に負いこまれたと思った時、誰かが
『自分の人生は先が見えた、と思ってみんな生きているかもしれない。 でも「一寸先は闇」と言いますが、「一寸先は光」という言葉もあるんです。 自分の可能性がもう無いようにみえる生活の中に、そう考えて一筋の光が差し込んできたら、何倍にも生きる力
(あの二人を、あのように喜ばせ、生き生きと奮い立たせ、動かしているものは何や。それこそがキリストではないやろか)(信じてみよう) 俊夫の顔に光がさした。今まで見えなかったものが、ふいに目から鱗が落ちたように、見え始めてきたのだ。(神はいるか
本当の友人というのは、相手の祈りの課題を知っていることだと、君は言ったことがあるね。始終会わなくても、何年に一度しか語り合わなくても、あいての生き方の根本がわかっている。それが友人だよね。(三浦綾子『ちいろば先生物語』)
わたしたちは常に、尺度を二つ持っている。「人のすることは大変悪い」「自分のすることは、そう悪くない」この二つの、はかりが心の中にある。 つまり「自己中心」なのだ。「自己中心」の尺度で、ものごとをはかる限り、自分は悪くはないのである。なぜなら
人間生まれて来て大事なことは、出世することではありませんぞ。只真理に忠実に生きることであります。(三浦綾子『ちいろば先生物語』)
ともあれ、思いがけぬ事が起きても、お互いの人生をめげずに生きていこうではありませんか。(三浦綾子『藍色の便箋』)
すべての人がいつかは死ぬのだから、本来ならばすべての人はもっと死について考えていいのだ。誰もが、今日が命日かも知れないのだ。只、(いつかは死ぬさ)と思っているだけだ。(三浦綾子『北国日記』)
私は肺結核、脊椎カリエス、帯状疱疹、癌と、次々にたくさんのプレゼントを神からいただいて来た。そしてその度に、私は平安を与えられて来たのである。(三浦綾子『泉への招待』)
三浦綾子読書会全国大会2016のお知らせテーマ【琵琶湖のほとりに光を見た】会期:10月27日(木)〜29日(土)宿泊・メイン会場:雄琴温泉 里湯昔話 雄山荘(HP)(滋賀県大津市雄琴1-9-28)案内:読書会代表 森下辰衛説明:今回のテーマは「琵琶湖のほとりに光を
正しいことを学ぶと、正しいことを知ると、自分は成長したような気になって、人を責め始めるが、学んだくらいでは、知ったくらいでは、人は成長していないのだ。(三浦綾子『続・氷点』)
「天国(ハライソ)に人が入るためには、狭い門から入らねばならぬと伺いました。狭い門から入るためには、全ての持ち物を捨てねばなりませぬ。身分という持ち物も、財産という持ち物も、傲慢という持ち物も、美形や学問という持ち物など、持っては入れぬ狭い
<神はわたしたちの求めるものよりも、更にすばらしいものを用意しておられる時は、祈りを聞いてくださらないこともある> 榎本保郎牧師の言葉。なるほどとうなる。わたしたちは病気よりも健康のほうがよいと思う。貧しさより
まあ、この世を見てごらんよ。不信とか断絶とかいって、お互いにお互いを見限っているじゃないか。人間は信じがたい存在だ。信ずるに値しない存在だ。しかしね、もう絶望するよりしようのない、ぼろくその人間同士だからこそ、なお希望を見出す努力を、ぼくは
私たちは不遜にも、「あの人は役に立たない」とか「役に立つ」とか区分してしまう。この言葉の底を流れるものは、役に立つことを重んずる思いである。しかし、一体人間がやくにたつということは、どういうことなのだろう。人間が人間らしくいきていくために、
『【愛は「死ね」とは言わぬ】愛とは何かと問われると、わたしたちは何と答えることだろう。 「愛とは忍ぶことである」「愛とは絶望しないことである」「愛とは許すことである」等々、色々な答がでる。それほど、愛という言葉には、沢山のものが含まれてい