自分は、本ものか、にせもものか、きびしい目で見つめるならば、自分こそ本ものだと言える人間は少ないのではないか。 金に動かされ、国民の幸福より自分の幸福を考える政治家、十年一日の如き同じ講義を、学生に対する愛情も、学問に対する熱情もなくつづけ
「これが時代というものだよ」誰かがそう言いました。それでは時代とはいったい何なのか。今まで正しいとされて来たことが間違ったことになるのが時代だと言うのか。いつの時代でも悪いことを「時代」や「社会」のせいにしてしまってことたれりとする風潮があ
「理解してほしい、慰めてほしい」という、人から受ける姿勢から「理解してあげたい。慰めてあげたい」という、与える姿勢に変わる時、悩みのほとんどは解決していることを、わたしはその時から今まで、何十回となく経験させられてきたのである。(三浦綾子『
人間を人間として見ることが、実は本当の意味でその人を正しく見ることなのである。そして、そこから出る尊敬が本当の尊敬なのである。 (三浦綾子『私にとって書くということ』)
わたしは自分が、何をこの人生において望んでいるか、もっときびしく自分に問い直してみる必要があると思った。もし自分の望んでいることが低ければ、人への親切も、低い次元でしか、なすことができない。(三浦綾子『生きること思うこと』)
誰の目にも触れぬ 深山の中に 美しい花の咲いているのを 見ることがあります おそらく その花に目を注(と)める人は 何年に一度あることでしょう でもその花は 懸命に 命の限り 美しく咲いているのです 人は見ずとも 神は見
やさしい言葉で、人の心に響く言葉を数々残した良寛さまは、言葉に関してその「良寛戒悟」に次のように書いておられます。 一.言葉多き 一.口の早さ