04年1月4日新日本プロレスの東京ドーム大会と同日にさいたまスーパーアリーナで開催された「ハッスル1」。02年、ボブ・サップのブレイクを背景に立ち技系格闘技イベントK-1と全日本プロレスが手を組んでプロレスイベントのファンタジーファイト「WRESTLE
03年7月6日ZERO-ONE両国国技館で川田利明のジャンピング・ハイキックを袈裟斬りチョップでカットした橋本真也は右肩を脱臼、7月11日後楽園ホールで開幕の「OH祭り」を全戦欠場。当初タッグリーグ戦として開催される予定だったOH祭りはタッグトーナメン
橋本真也のは03年から武藤敬司の全日本プロレスとの抗争がスタート。全日本プロレス「新春ジャイアント・シリーズ」最終戦の1月13日大阪府立体育会館に橋本が出場、前02年7月7日に両国国技館で死闘を展開しお互いを認めあった空手家の小笠原和彦とタッグを
03年に長州力が旗揚げしたWJはジャイアント落合の死亡事故の後、さらに迷走を続けることになります。8月21日大阪府立体育会館大会は2,800人発表と厳しい客入り、シングル王座に次いで新設されたWMGタッグ王座決定トーナメントが開催され、決勝では長州
03年3月1日土曜日横浜アリーナで長州力の新団体WJが「MAGMA01」開幕戦で旗揚げ興行を開催しています。観客は13,200人満員発表でしたが実際は七分の入りでした。当日の関東地方は大雨で、他にノアの日本武道館大会(三沢光晴vs小橋建太のGHCヘビー級選手
前01年の橋本真也のZERO-ONE旗揚げに次いで02年は武藤敬司が新日本プロレスを退団して全日本プロレスに移籍と90年代の「ドームプロレス」で興行人気を支えた武藤、蝶野正洋、橋本の「闘魂三銃士」は袂を分かつことになり、黄金期を築いていた新日本プロレスは
武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシンが退団した02年は新日本プロレスの創立30周年記念イヤーにあたり、5月2日東京ドームで「闘魂記念日」と銘打った記念大会が開催されました。試合前の記念セレモニーではシークレットゲストで猪木の前夫人である倍賞美津子
02年は年の初めに大きな事件がありました。武藤敬司が新日本プロレスの契約更改が行われる1月18日発売の1月19日付「東京スポーツ」に「武藤、新日本退団、全日本移籍」が報じられました。武藤は契約更改の場で新日本プロレスを退団する旨を伝えたことで退団
FMWはハヤブサの事故という哀しい事件がありましたが団体経営は行き詰まり、資金ショートを起こして02年2月15日に取引金融機関から2度の不渡手形を出して銀行取引停止処分となり倒産。FMWが押さえていた3月10日と4月9日の後楽園ホール大会は冬木軍
00年2月25日FMW後楽園ホールでは前99年11月23日横浜アリーナで和解したH&ミスター雁之助組の保持するWEWタッグ王座に冬木弘道&NEO女子プロレスの井上京子組が挑戦、冬木がサムソンクラッチで雁之助をフォール、ベルト移動。勝った冬木と京子は抱
FMWは98年に日本に進出してきたディレクTVと契約、3年間3億円で契約、冬木弘道が主導権を握りエンターテインメント路線を敷き、タレント、歌手など素人を登場人物としてリングに上げることになってしまいます。FMWの標榜するエンターテインメント路
00年、ミレニアムに起きた全日本プロレスの内部分裂騒動ですが21世紀に突入した翌01年以降もこの傾向は収束に向かうことはなかったです。01年は前00年11月に新日本プロレスを解雇された橋本真也が1月4日東京ドームで今回の解雇騒動で対立した長州力と「遺恨
大きく動いた00年の日本プロレス界、新日本プロレス7月30日横浜アリーナでは引退していた長州力が大仁田厚の再三の対戦要求についに応じ、ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで復帰、対戦しています。4月19日に27歳の若さで無念の死を遂げた福田雅一の遺
ミレニアムを迎えた00年の日本プロレス界、新日本プロレス4月7日金曜日東京ドーム大会はテレビ朝日で生中継されました。テレ朝での生中継は88年8月8日横浜文化体育館での藤波辰巳に猪木が挑戦したIWGPヘビー級選手権試合以来12年ぶり、「金曜8時台」
猪木引退、馬場の死、前田日明引退、鶴田引退のこの4つの大きな出来事は98年4月〜99年3月までの1年間に立て続けに起きており、改めて日本プロレス界が大きな転換点に来ていた時期でもありました。色々なことがあり過ぎた世紀末99年の日本プロレス界前半、
世紀末を迎えた99年、新日本プロレス1月4日東京ドームでは前98年11月、メンバーと軋轢が生じ11月20日横浜文化体育館を最後に新生FMWを退団した大仁田厚が登場、佐々木健介と対戦し体力で圧倒されましたが最後は火焔攻撃を見せて反則負け。また前98年10月
98年10月31日全日本プロレスの日本武道館で小橋健太vs三沢光晴の三冠ヘビー級選手権試合が行なわれた同日、「デスマッチ団体」として舵を切っていた大日本プロレス札幌テイセンホールで凄惨なデスマッチが行われています。大日本(現在はBJW)認定デスマッチ
97年にはもう一つ日本プロレス界の流れを変える出来事がありました。ウルティモ・ドラゴンがメキシコで設立したルチャドール養成学校「闘龍門」が5月11日メキシコシティ・アレナ・ナウカルパンで旗揚げ興行を行っています。ウルティモは96年に闘龍門を設立。
96年以降は日本プロレス界が徐々に下り坂に入っていった時期であると言えます。3月15日新日本プロレスから倍賞鉄夫常務取締役、吉川義一宣伝部長連名でベースボール・マガジン社の週刊プロレス編集部、山本隆司(ターザン)編集長宛に書面にて取材拒否が通告さ
前回(2)の終わりで触れました全日本プロレスの「四天王プロレス」三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太の4選手による激しいプロレスは「カウント2.99」という言葉を産み出し、極限まで闘うプロレスとして「聖戦」とまで言われ、90年代の代表的なプロレス
「今のプロレスは危険」(否定派)vs「プロレスは今も昔も危険」(肯定派)と意見が分かれていますが、プロレスは今も昔も危険です。では昔起きなかったことが、平成中期以降現在まで多発しているのは何故か?プロレス界を取り巻く環境が今と昔とでは大幅に変化し
先般、前田日明がYouTubeの自身のチャンネルにおいて3月20日DDT後楽園ホールで行われたクリス・ブルックスvs高梨将弘のKO−D無差別級選手権試合において高梨がフィニッシュの後、動かなくなってしまい救急搬送され入院、高梨は検査の結果「頸椎(けい
86年全日本プロレス「エキサイティング・ウォーズ」後半戦となる第11戦は3月7日静岡県浜北市(現在の浜松市浜北区)体育館(観衆2,600人満員発表)大会。マイティ井上はハル薗田とタッグを結成しジャパンプロレスの小林邦昭&保永昇男組と対戦、11分7秒に小林
本日4月12日はマイティ井上さんのご存命であれば76歳の誕生日でした。本日は東京は巣鴨・闘道館で、大阪ではロフトプラスワンウェストにてミック博士の「昭和プロレス復活祭」の中でそれぞれ故人を追悼したイベントが開催されます。参加される方々も多くいら
全日本プロレス一行が台湾遠征に出ていた86年2月16日後楽園ホール(観衆3,000人超満員発表)でジャパンプロレス主催によるワンナイト興行「立春3大スペシャルマッチ」が開催されています。私はこの興行は観に行きました。全日本プロレス勢は不参加でしたが、
86年全日本プロレス「ニューイヤー・ウォーズ SUPER BATTLE86」大詰め、第27戦、1月31日福島県営白河体育館(テレビ収録、観衆2,300人発表)大会。シリーズ最終戦の後に放送されるテレビ録りの興行です。マイティ井上はテレビ収録の入らない第6試合に出場、タ
86年全日本プロレス「ニューイヤー・ウォーズ SUPER BATTLE86」も終盤にさしかかりました。第22戦、1月25日群馬県高崎市中央体育館(テレビ生中継、観衆3,200人発表)大会。午後7時からの生中継とあって試合開始は午後6時。今回はテレビ生中継の流れに沿って
86年全日本プロレス「ニューイヤー・ウォーズ SUPER BATTLE86」第8戦、1月9日山口県岩国市体育館(観衆3,100人満員発表)大会。マイティ井上は渕正信と組んでアニマル浜口&寺西勇組のジャパンプロレス勢と対戦、4人中3人が国際プロレス出身者というタッグ
全日本プロレス対ジャパンプロレスの抗争も2年目に突入、86年は新春シリーズとなる「ニューイヤー・ウォーズ SUPER BATTLE86」は、ついに全日本プロレスが元日興行を初開催。従来の1月2日、3日の恒例の昼興行と併せての後楽園ホール3連戦で幕開けとなり
85年12月15日後楽園ホール(観衆3,400人超満員発表)でジャパンプロレス設立2周年記念興行が開催されました。私はこの興行は観に行っています。全日本プロレスのリングには契約の関係でまだ上がれないスーパー・ストロング・マシン、ヒロ斉藤、高野俊二のカル