新生・新日本プロレス嵐の船出となった06年「Circuit 2006 Acceleration」最終戦、2月19日両国国技館(観衆8,000人発表)。メインイベントは蝶野正洋&天山広吉組の蝶天タッグにジャイアント・バーナード&中西学組が挑戦。80年8月22日品川プリンスホテル・ゴ
06年、ユークス体制になってから初の東京ドーム大会は興行的には惨敗に終わりました。ユークスの思い切ったコストカットはこの年の1月末の契約更改ではっきりと出てしまいました。1月末時点で新日本プロレスと契約更改しなかったのは西村修、ヒロ斉藤、後藤
06年1月4日新日本プロレス東京ドーム大会「闘魂始動〜Chapter1〜」は43,000人(満員発表)の観客を動員。前06年5月14日の35,000人、10月8日の38,000人からは上回った発表でしたが、それでもアリーナの椅子の数を減らしての厳しい入りとなりました。メインイ
ユークス体制に入った新日本プロレスは、代表取締役副社長だった山中秀明が降板して代表権のない取締役に降格になり、代わって執行役員の菅林直樹が代表取締役副社長に昇格。サイモン・ケリー猪木社長と共に会社再建に取り組むことになりました。05年最終シリ
05年11月14日新日本プロレスがゲームソフト会社のユークス(本社・大阪府堺市・大阪証券取引所ナスダックジャパン、後のヘラクレス上場)にオーナーである猪木が保有していた議決権を行使出来る51.5%の株式を取得、完全子会社化することを発表しました。まずは
05年の「G1クライマックス」はIWGPヘビー級王者藤田和之、川田利明、鈴木みのるの外敵が参戦しています。川田はこの年の2月16日全日本プロレス国立代々木競技場第二体育館で小島聡に敗れ、03年9月6日日本武道館で、前王者橋本真也の負傷により返上さ
至宝であるIWGPヘビー級王座を全日本プロレスの三冠ヘビー級王者小島聡に奪われた新日本プロレスは小島の初防衛戦の相手に中邑真輔をぶつけてきました。05年3月26日両国国技館(観衆9,000人満員発表)大会で小島と中邑のタイトル戦が実現(三冠ヘビー級王座
暗黒時代と言われながらも新日本プロレスはヤングライオンが次々とデビューし、大半のレスラーが業界内で成功を収めている点は特筆すべきことです。やはり、練習環境の充実ぶりと道場にしっかりとお金をかけることはリングアクシデント防止の最大の抑止力とな
05年1月4日新日本プロレス東京ドーム大会「闘魂祭り WRESTLING WORLD 2005」は過去の東京ドーム大会のワーストとなる(03年5月1日のULTIMATE CRUSH前夜祭は本興行ではないので除外)46,000人発表。仕事始めの平日火曜日開催と条件は悪かったですが平日開催
迷走した04年11月13日新日本プロレス大阪ドームでの「猪木祭り」。年内の新日本プロレスは翌05年1月4日東京ドームに向けて、退任した上井文彦元執行役員による「土下座外交」で生まれた外敵優遇を弱め、所属レスラーによる抗争で集客出来るように徐々にでは
04年11月3日新日本プロレスは2か月連続で両国国技館大会を開催、この興行は蝶野正洋デビュー20周年記念興行「CHRONO STREAM」で、3日前の10月31日には同じ両国国技館で全日本プロレスの武藤敬司がデビュー20周年記念興行をやっており、武藤は新日本プロレ
04年「G1クライマックス」は8月15日両国国技館で優勝決定戦が行われ、天山広吉が1日で中邑真輔、柴田勝頼、棚橋弘至の「新闘魂三銃士」を三タテにしてみせ2連覇を達成しています。この年は10月の東京ドーム大会はなく10月9日に両国国技館大会を開催、台
草間政一社長に代わってから初の新日本プロレス「G1クライマックス」は04年8月7日相模原市立総合体育館で開幕。この年は高山善廣、天龍源一郎、佐々木健介、鈴木みのるの「外敵四天王」が参戦しました。第2戦の8月8日大阪府立体育会館で高山と健介の外
丁度21年前の今日にあたる04年5月22日、さいたまスーパーアリーナにてK−1の運営会社であるFEGが主催する総合格闘技イベント「K−1ROMANEX」が開催されました。観客は14,918人発表で満員マークはつかず厳しい入りに。TBS系列で放送されています。0
04年5月3日新日本プロレス東京ドーム大会「NEXESS」は50,000人満員発表の観客を動員。3月28日両国国技館で中邑真輔がK−1軍に宣戦布告したことで、この日の売りは新日本vsK−1四番勝負ということになり、メインイベントから後4試合は新日本プロレスと
04年1月4日新日本プロレス東京ドーム大会は日曜日開催で53,000人(満員発表)の観客を動員。メインイベントはIWGPヘビー級王者中邑真輔とNWFヘビー級王者高山善廣によるダブルタイトルマッチ王座統一戦。 共に猪木と縁の深い2本のベルト、新旧新日本
03年12月31日さいたまスーパーアリーナで開催された「PRIDE男祭り2003」は39,716人超満員札止め発表の観客を集めました。メインイベント第10試合は桜庭和志(高田道場)とアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラの一戦(1ラウンド10分、2、3ラウンド各10分3
03年12月9日新日本プロレス大阪府立体育会館(観衆5,500人満員発表)大会。メインイベントデビュー1年3か月の中邑真輔が新IWGPヘビー級王座王者となった天山広吉に挑戦。新日本プロレスとしては異例の大抜擢でした。試合はキャリア、パワーで優る天山が
日本テレビの放送を取り付けた「INOKI BOM-BA-YE 2003」はミルコ・クロコップvs高山善廣をメインカードとして発表するだけでなく、エメリヤーエンコ・ヒョードルの出場とジョシュ・バーネットvsセーム・シュルトを発表する。大会プロデューサーの川又もミルコ
03年11月3日新日本プロレスは横浜アリーナ「YOKOHAMA DEAD OUT〜死線を越えた闘い〜」を開催しました。観客は12,500人満員発表でしたがアリーナの中段、スタンドには空席が目立ち、何とか1万人超えを発表出来た感じです。メインイベントから後ろ3つは新日
03年10月13日新日本プロレス東京ドーム大会は5月2日の同所での興行と同じ「ULTIMATE CRUSH」がタイトルに付けられました。メインイベントは新日本軍vs真猪木軍の5対5イリミネーションマッチ時間無制限で、新日本軍は天山広吉&永田裕志&中西学&棚橋弘至
03年8月の「G1クライマックス」にはノアから秋山準が参戦、8月17日両国国技館での優勝決定戦では天山広吉と対戦しアナコンダバイスの前にギブアップ負け、天山はG1初制覇となりました。8月28日大阪府立体育会館では7月21日札幌月寒グリーンドームで両
猪木のPRIDEエグゼクティブ・プロデューサー就任以来、何かと格闘技路線に重きを置いていた新日本プロレス。03年はその傾向が更に強くなっていきました。1月4日東京ドーム大会ではIWGPヘビー級王者永田裕志が元UFC世界ヘビー級王者であるジョシ
棚橋弘至事件から2日後の11月30日パンクラス横浜文化体育館大会(観衆5,900人超満員発表)。本来ならここで鈴木みのると佐々木健介の対戦が行われるのことが決定していましたが、健介の退団により実現には至らず、代わりに獣神サンダー・ライガーが鈴木戦に名
新日本プロレスの暗黒時代を振り返りたいと思います。02年2月、前年の橋本真也のZERO-ONE設立に次いで武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシンが全日本プロレスに移籍。5月31日には現場監督だった長州力が猪木への恨みつらみを吐露して新日本プロレスを退団、長
05年7月11日に40歳の若さで亡くなった橋本真也の死因は脳幹出血で、橋本の実母も同じ病気で59歳で亡くなっており、家系とか遺伝と考えてもおかしくはないですが、やはり橋本の場合は団体運営からくる資金繰りのストレス、チケット販売の為のスポンサーとの設
慢性化した右肩脱臼の治療に専念する為にZERO−ONEのリングを欠場していた橋本真也ですが、04年11月3日新日本プロレス両国国技館で行われた蝶野正洋デビュー20周年記念興行に現れました。両国大会ダブルメインイベント第2試合で長州力と組んで天山広吉&永
大黒柱でありワンマンエースだった橋本真也が長期欠場に入ったZERO−ONEですが、大谷晋二郎をエースとして新シリーズ「新渦一真」が04年9月12日後楽園ホールで開幕、再スタートを切りました。10月シリーズ「新渦一真�供廚虜能�戦、10月17日札幌メディアパー
04年5月8日横浜アリーナで「ハッスル3」が開催され、12,057人発表の観客を動員。メインイベントは橋本真也&小川直也組のOH砲がケビン・ナッシュ&スコット・ホール組のジ・アウトサイダーズと対戦、7分37秒に小川のSTOと橋本の投げ捨てジャーマンの
ハッスル1で復帰を果たした橋本真也はホームのZERO−ONEのリングで右肩をガチガチにテーピングで固め、04年1月9日後楽園ホールでの「ゼロ中祭り�検廚派�帰。セミファイナルで横井宏考&佐々木義人とのトリオでアパッチプロレス軍のミスター雁之助&黒田哲