05年10月2日、国立代々木競技場第一体育館で行われた「W-1GPトーナメント」(観衆8,012人発表)に三沢光晴がスペシャルマッチに出場、小川良成とのタッグで曙&スコーピオ組と対戦、8月から「武藤部屋に入門します」と全日本プロレスにレギュラー参戦し、
05年7月18日東京ドーム大会を無事、成功裏に終わらせたプロレスリング・ノアは恒例のお盆休みの東北ツアーまで少し長めのシリーズオフ。05年8月4日両国国技館(観衆10,500人満員発表)でのWRESTLE-1「W-1GPトーナメント」に秋山準が参戦。秋山は1回戦で
05年7月18日プロレスリング・ノア東京ドーム大会第8試合からメインイベントの第10試合までは、大会のタイトル「DESTINY」にふさわしいシングルマッチがラインナップされました。(試合はいずれも時間無制限1本勝負)第8試合はかつての師弟対決、小川良成v
05年6月18日(現地時間)イギリス・モアカムドームにおけるFWA主催興行で鈴木みのる&丸藤正道組の越境タッグがスコーピオ&ダグ・ウイリアムス組のGHCタッグ王座に挑戦、22分35秒、丸藤が不知火からの体固めでスコーピオを破り王座獲得。丸藤はこれでヘ
プロレスリング・ノア05年4月3日後楽園ホール大会の休憩明けにリングに上がった三沢光晴社長は7月18日金曜日に前04年に引続き東京ドーム大会の開催を発表しました。4月24日日本武道館(観衆15,800人超満員発表)大会、この日は試合順に振り返りたいと思いま
初期のプロレスリング・ノアは根本は馬場の全日本プロレスにあるだけに年中ゴタゴタがあった新日本プロレスに比べてリング外での話題はあまりなく、専らリング上での闘いの話題が主体でした。3月5日日本武道館(観衆16,200人超満員発表)大会。メインイベント
プロレスリング・ノア05年の初戦は1月8日日本武道館(観衆16,700人超満員札止め発表)大会。メインイベントは小橋建太のGHCヘビー級王座に鈴木みのるが挑戦。異色の組み合わせ、小橋は高山善廣を初めU系のレスラーとは何回か対戦したことはありますが鈴木
田上明を破りGHCヘビー級王座防衛記録を二桁の10回に乗せた「絶対王者」小橋建太はこの04年10月24日大阪府立体育会館(観衆5,200人満員発表)でダークエージェント総帥の齋藤彰俊の挑戦を受け、リアルブレーンバスターからの体固めで破り、11度目の王座防衛
プロレスリング・ノア04年7月24日ディファ有明(観衆1,800人超満員発表)大会でノア生え抜き新人第2弾となる潮崎豪(当時22歳)がデビュー、潮崎は第4試合出場という抜擢で本田多聞とのタッグで秋山準&橋誠組と対戦、秋山のエクスプロイダーでフォール負けを
04年7月10日のプロレスリング・ノア東京ドーム大会では忘れてはいけない出来事がありました。前03年3月1日日本武道館大会での第1試合、百田光雄とのタッグで永源遙&川畑輝鎮組と対戦(百田が逆さ押さえ込みで川畑を破る)した試合を最後に長期欠場していた
04年7月10日土曜日、プロレスリング・ノア初の東京ドーム大会「DEPARTURE2004」は58,000人超満員発表の大観衆を動員。メインイベントはノア至高の闘い、秋山準が小橋建太のGHCヘビー級選手権試合60分1本勝負。先に秋山が入場、次いで王者小橋、ドームの
7月10日初の東京ドーム進出が決まった04年のプロレスリング・ノアは年頭から勢いをつけて加速していきました。1月10日日本武道館(観衆16,000人超満員発表)大会からスタート。メインイベントは新日本プロレスの永田裕志&棚橋弘至組に奪われていたGHCタッ
03年11月1日プロレスリング・ノア日本武道館(観衆16,000人超満員発表)大会、この時は3連休でノアの土曜日日本武道館大会が初日でした。翌11月2日日曜日みちのくプロレスが有明コロシアムで10周年記念大会〜最終章〜「メモリー」を開催、4年前に袂を分かつ
03年3月1日プロレスリング・ノア日本武道館大会で三沢光晴と壮絶な死闘を行い第6代GHCヘビー級王者となった小橋建太はその激しいファイトで「絶対王者」ロードを歩み初めていきました。4月13日有明コロシアム(観衆11,500人超満員発表)大会では本田多聞
03年のプロレスリング・ノアは1月10日日本武道館「GREAT VOYAGE'03」からスタート、金曜日にも関わらず16,300人超満員発表の大観衆を集めています。この日はダブル・メインイベント。ダブルメイン第1試合は前02年5月2日新日本プロレス東京ドーム大会で「
02年1月4日新日本プロレス東京ドーム大会にノアのGHCヘビー級王者、秋山準が登場、メインイベントで永田裕志と防衛戦を行いました。立会人としてGHCタイトル管理委員長のジョー樋口が登場し認定宣言を読み上げました。馬場全日本プロレス時代のメイン
プロレス業界国内最大手の新日本プロレスが暗黒時代と呼ばれる低迷期を迎えていた00年代前半、全日本プロレスを退団した三沢光晴が設立したプロレスリング・ノアは、四天王プロレスのファンがそのままスライドして隆盛を迎えました。01年4月8日深夜から日本
女子プロレス界の個人プロモーション化が進んでいった中で、地道にコツコツと底辺を広げて行ったのが尾崎魔弓率いる「OZアカデミー」。 元はガイアジャパンに尾崎がJWPに所属しながら定期参戦していた96年8月、ガイアの永島千佳世とシュガー佐藤がJW尾崎
さくらえみが我闘姑娘、アイスリボンが草の根運動的に業界でのシェアを広げてきたこの時期、女子プロレス業界は好調とは言えず、団体の解散、分裂、小規模プロモーションの増加が目立ちました。05年4月10日後楽園ホールで女子プロレス業界唯一の勝ち組と言わ
アイスリボン09年1月18日北沢タウンホール(リング使用)大会で初代ICE✕60∞王者、聖菜に市来喜代子が挑戦、流石にキャリア15年のベテラン、市来と高校生の聖菜ではまさに大人と子供であり、7分10秒、ダブルリスト・アームソルトで市来が完勝。第2
アイスリボンのもう一つの売りとして前回も簡単に触れました真琴とNEO女子プロレスの三田英津子の師弟ストーリーがありました。引きこもりを克服しようとアイスリボンの門を叩いた真琴、恵まれた体格に関わらずビビりでハートが弱く、小学生レスラーにも負
映画「スリーカウント」より話は遡りますが06年12月31日に常打ち会場の市谷アイスボックスに進出してからは週に1回の定期戦を組むようになり、毎回超満員札止めの観客を動員しました。07年3月からは江東区Bunb東京スポーツ文化館マルチスタジオでの定期戦も
志田光主演の映画「スリーカウント」はオーディションから1年後の09年6月20日に公開されました。NEO女子プロレスとアイスリボンの全面協力を得て製作されたガールズ・ムービー。女子プロレス界を舞台に、プロレスを愛する女性たちの人間模様と青春を描く
08年4月、テレビ埼玉の深夜25時から放送されていたバラエティ番組「筋肉美女-Muscle Venus-」の連動企画として映画「スリーカウント」の企画が立ち上がり、NEO女子プロレスとアイスリボンの全面協力のもと制作される事になりました。作品のコンセプトは「
06年7月25日アイスリボン千本桜ホールで小学生レスラー、りほ(里歩、RIHO)と中学生で引きこもりを打破すべく入門したの真琴がデビュー戦同士で対戦、僅か1分18秒、エビ固めでりほがフォール勝ち。この2人がどちらもプロレス界で成功することになるとは想像
我闘姑娘興行第2弾は05年2月13日板橋グリーンホール、ここでプロレスリングWAVEで活躍することになり、現在は気象予報士でもある春日萌花が高橋李佳を相手にデビュー、これで旗揚げ戦でデビューした零(Ray、リン・バイロン)、なつみ智香、市井舞と、さくら
さくらえみ(元川恵美)は76年10月4日千葉県君津市生まれ。プロレス入りするまでの経緯は不明な点が多いですが94年5月に旗揚げしたIWAジャパンに入門、95年8月17日富山県高岡市テクノドームでの市来喜代子戦でデビュー。旗揚げ当初のIWAジャパンの女子
06年5月27日草加市スポーツ健康都市記念体育館で内藤哲也がデビュー、翌5月28日後楽園ホールでは垣原賢人が頚椎の負傷で引退、引退試合は金本浩二とのエキシビションマッチ5分1本勝負で時間切れ引き分けとなりました。7月17日札幌月寒グリーンドーム(観
暗黒時代の新日本プロレスは暗中模索しながら2つの別ブランドを起ち上げました。「WRESTLELAND」と「LOCK UP」です。「WRESTLELAND」は06年5月13日新宿FACEで第1弾がスタート。新日本プロレス本隊の興行とは一線を画した映像付きのエンターテインメント性
06年3月19日新日本プロレス「Circuit 2006 Takeoff」最終戦両国国技館大会その他の動きです。セミファイナルは蝶野正洋&天山広吉組の蝶天タッグの保持するIWGPタッグ王座に永田裕志とこのシリーズ、永田のパートナーに抜擢された山本尚史(ヨシタツ)が組