84年ビッグ・ファイト・シリーズはこの年も前年同様1週間のオフを置くのみで第1弾と第2弾に分かれて開催されています。このあたりは新日本プロレスの売り興行数の多さが全日本プロレスを凌駕していたことを現しています。第1弾は3月2日、プロレス初使用
前回書きました第3団体設立へ向けた動きの�´↓�について検証していきたいと思います。�,任垢�、これは前年末に新間と佐山が2人で会談し、両者の間にあった誤解が解けたことからきた話でした。新間は突如として引退発表し、自分のいないところでベルトを返
84年に入ってから「第3団体誕生」の話が急浮上しています。81年8月に国際プロレスが活動停止して以来、日本の男子プロレス界は猪木の新日本と馬場の全日本の2団体並立時代が約2年半続いていました。この時期色んな情報が報道されていますが、ガセやフライ
84年の新春黄金シリーズが終わると新日本プロレスは、2月12、13日の2日に亘り、初となるフィリピン遠征を行いました。(テレビ朝日の収録はなし)フィリピンでは元国際プロレスの大磯武がプロレス団体を作っており(インディーズのレベル)大磯が新日本を招聘し
84年新春黄金シリーズ2月8日は碧南市立臨海体育館でのテレビ収録マッチ。前日の蔵前国技館で札幌で藤原喜明の鉄パイプ攻撃を受けた傷口がハルク・ホーガンのパンチ攻撃で再び開いてしまい出血を見せた長州は欠場しました。メインイベントは猪木、前田日明、
84年新春黄金シリーズ天王山は2月7日、蔵前国技館大会で12000人(超満員)の観客を動員しました。札幌でのテレビ生中継の効果は観客数の伸びに顕著に現れました。第4試合で前田日明と木村健吾がシングルで対戦、不穏とはいかないまでも噛み合わぬカタい試合
額から流血した長州はそれでもリングに上がりました。それを見た藤波がいきなり長州に襲いかかっていきましたが、レフェリーのミスター高橋と審判部長の山本小鉄が間に割って入りこれを静止 。協議の末、長州は出血多量により試合出場不可能となりWWFイン
84年1月27日、愛知県体育館大会メインイベントは猪木、藤波組vsWWF世界ヘビー級王者となったハルク・ホーガン、アイアン・マイク・シャープ組。4日前の23日、ニューヨークMSGでアイアン・シークを破り新王者となったホーガンは緑色の台座にリニューア
新日本プロレス84年新春黄金シリーズ1月20日は福岡・柳川市民体育館のテレビ生中継。メインイベントは猪木、藤波組vsラッシャー木村、バッドニュース・アレン組。1月6日、後楽園ホールでアブドーラ・ザ・ブッチャーと仲間割れしたアレンはR木村と共闘。R
新日本プロレスを退団したタイガーマスクは84年に入ると活動を再開。1月11日、テレビ朝日「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に素顔で出演、見栄晴にプロレス技をかけて見せ終始笑顔で対応しました。前年8月10日に出演をドタキャンした時の穴埋め出演で、この
84年新春黄金シリーズ開幕戦の1月1日後楽園ホール大会のメインイベントは久々の猪木とダスティ・ローデスのシングルマッチ。両者のシングル戦は80年5月21日、宇都宮・栃木県体育館での第3回MSGシリーズ決勝リーグ戦以来の対戦でこの時は猪木が8分44秒
新日本プロレスにとっては激動の1年となった84年は1月1日、新春黄金シリーズ開幕戦の元日興行からスタートしました。元日興行は82年から3年連続開催となります。バッドニュース・アレン、ダイナマイト・キッド、デービーボーイ・スミス、ブレット・ハート
82年世界最強タッグ決定リーグ戦と同時期に新日本プロレスも第3回MSGタッグ・リーグ戦を開催。同趣旨の大会で3年連続の争いとなりました。新日本の参加チームは前年度優勝チームのアンドレ・ザ・ジャイアント、レネ・グレイ組、猪木、ハルク・ホーガン組
82年世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦は12月13日、蔵前国技館で行われました。この日は3大公式戦が組まれています。まずは天龍、阿修羅・原組vs上田馬之助、スーパー・デストロイヤー組。原とSデストロイヤーはこのシリーズが日本では初対決となりましたが
82年世界最強タッグ決定リーグ戦終盤戦の天王山は12月9日、札幌中島体育センター(テレビ収録)大会での第13戦。優勝争いの大きな決め手となる2大公式戦が組まれています。メインイベントは馬場、鶴田組とスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組が激突。試
82年世界最強タッグ決定リーグ戦第10戦は12月6日、熊本市体育館大会。公式戦は天龍、阿修羅・原組とリッキー・スティムボート、ジェイ・ヤングブラッド組が対戦し今リーグ戦初の45分時間切れ引き分けとなりました。天龍、原組は3点、リッキー、ジェイ組は1
82年世界最強タッグ決定リーグ戦第5戦は11月30日、馬場のお膝元新潟市体育館。公式戦初戦となったハーリー・レイス、ディック・スレーター組が上田馬之助、スーパー・デストロイヤー組と対戦しスレーターがトップロープからのエルボースタッブでSデストロイ
最強タッグ開幕戦である11月26日、後楽園ホールではスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組とリッキー・スティムボート、ジェイ・ヤングブラッド組の公式戦が実現。試合はリッキーが鮮やかなアームドラッグでハンセン、ブロディを投げつけスピーディーな展
全日本プロレス82年悼尾を飾る暮れの祭典、世界最強タッグ決定リーグ戦は11月26日、後楽園ホールで開幕。ディフェンディング・チャンピオンであるブルーザー・ブロディ、ジミー・スヌーカ組は仲間割れの為エントリーは当然ありませんでしたが、タッグチームが
82年の全日本プロレスは松根光雄新社長の元、日本テレビからの豊富な資金源をバックに年頭から切り札スタン・ハンセンを投入、2か月おきに1回都心の1万人収容規模の大会場でビッグマッチを開催して来ましたが7月のサマー・アクション・シリーズ以降は東京
82年ジャイアント・シリーズ終盤戦天王山は11月2日、愛知県体育館大会。10月26日、帯広市総合体育館でハーリー・レイスのダイビング・ヘッドバットの前にフォール負けを喫しPWFヘビー級王座から転落した馬場がリターンマッチに挑みました。例年、ジャイア
82年10月22日、能代市体育館よりUNヘビー級王者ハーリー・レイス、ドリー・ファンク・ジュニア、ジミー・スヌーカが特別参加。レイスはスヌーカとのタッグで鶴田、阿修羅・原組と対戦、スヌーカが原をスーパーフライから片エビ固め。レイス、スヌーカ組は暮
82年10月7日、大阪府立体育会館(テレビ収録)で鶴田がブルーザー・ブロディのインターナショナル・ヘビー級王座に初挑戦。鶴田はこの時UNヘビー級王座をハーリー・レイスに奪われており、シングル無冠でした。ブロディはワンハンド・ボディスラム、ドロップ
82年10月1日、横浜文化体育館でのジャイアント・シリーズ開幕戦では大仁田とチャボ・ゲレロによるNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座決定戦三番勝負の第1戦がセミファイナルで組まれました。7月30日、川崎市体育館の試合は両者ダブル・フォ
82年秋の陣ジャイアント・シリーズは10月1日、横浜文化体育館で開幕。前年、前倒しで創立10周年記念シリーズを同時期に開催していますが、72年10月21日、町田市体育館で旗揚げ前夜祭を、翌22日、日大講堂で旗揚げ戦を行っている全日本プロレスはこのシリーズ
82年9月11日、後楽園ホールではスタン・ハンセンと翌年に引退を控えたテリー・ファンクがシングルで初の一騎討ち。当日は関東地方に台風18号が接近、朝から雨風が強く吹き付ける中この一戦を見ようと多くの観客が会場に詰めかけ、館内は立錐の余地もないほど
NWA総会から帰国した馬場は9月11日、後楽園ホールの控室で記者会見を行いました。「NWAからジュニアのタイトルについて管理がウチ(全日本)に一任された。ついては7月30日に無判定試合となったNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座を次期
82年8月28日は後楽園ホール大会、このシリーズ日本陣営から試合に出場しているテリー・ファンクがメインで鶴田とタッグを結成しスタン・ハンセン、ロン・バス組のラリアット・ライダースと対戦。反則勝ちを収めています。天龍はルーファス・ジョーンズを回転
82年スーパー・パワー・シリーズは8月26日、熊谷市民体育館で開幕。スタン・ハンセン、テリー・ファンク、ロン・バス、クラッシャー・ブラックウェル、ザ・デストロイヤー、ルーファス・ジョーンズ、フランク・デューセックの外国人選手がシリーズ全戦参加、
ジョージア州アトランタのプロモーター、ジム・バーネットは同性愛者として知られており、全日本プロレスにも来賓としてよく来日していました。リングに上がる時は口紅をさした薄化粧をしていたとされる「怪人」ですが日本テレビの倉持隆夫アナウンサーはバー