75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」第16戦4月24日松山・愛媛県民館(観衆3,000人発表)大会。公式戦はまずアントニオ猪木がマンマウンテン・マイクと対戦、4分34秒に体固めでフォール勝ちし7戦6勝1敗、ストロング小林はサングレ・フリアーと
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」中盤戦の激闘の模様です。第13戦、4月19日和歌山県立体育館(観衆4,500人発表)大会。公式戦は坂口征二と星野勘太郎の一戦が組まれ、14分7秒に片エビ固めで坂口がフォール勝ち、7戦5勝1敗1分となりました
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」第10戦は4月15日、富山県高岡市民体育館(観衆5,500人満員発表)大会。公式戦は坂口征二と山本小鉄が一度きりの対戦。新日本プロレスの社内では犬猿の仲と言われる両者ですが、9分52秒、坂口が片エビ固めでフ
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」第7戦の4月11日、福島県会津若松市体育館(会津体育館または会津鶴ヶ城体育館、テレビ生中継、観衆4,700人超満員発表)大会。テレビ生中継はスタートが来日が遅れ、4月8日の新潟市体育館大会から参戦したS
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」は日本プロレス史に残る面白いリーグ戦でしたが、総当たりリーグ戦で行われているだけに、それ以外にもその日公式戦の組まれていない選手同士による通常のシリーズでは見られない珍しい試合が沢山組まれていま
今回から「昭和プロレス年史」1975年前編の中でも特に時間を割いて採り上げた新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」の模様を振り返りたいと思います。75年新日本プロレス春の本場所「第2回ワールド・リーグ戦」は4月4日蔵前国技館(テレビ生中継、観
マリオ・ミラノ最後の来日となったのが85年5月の「激震!サンダーウォーズ」で実に4年2か月ぶりの参戦となりました。この4年2か月で全日本プロレスのリングは大幅にその景色が変化しています。81年5月、アブドーラ・ザ・ブッチャーが新日本プロレスへ移
マリオ・ミラノは79年3月3日横浜文化体育館で開幕した「第7回チャンピオン・カーニバル」に素顔で参戦しています。リーグ戦参加メンバーは前年度優勝者のジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、ザ・デストロイヤー、フリー参戦を経て全日本に入団した石川孝志(
マリオ・ミラノが即席マスクマンのザ・バラクーダとして全日本プロレスに初めて参戦して来たのが75年1月の「新春シリーズ」全日本にミラノをブッキングしたのはジム・バーネットからオーストラリアの興行権を買ったマーク・ルーインで、ルーインが全日本でレ
72年日本プロレス「新春チャンピオン・シリーズ」でのマリオ・ミラノは1月15日徳山市(現周南市)体育館で大木金太郎のアジア・ヘビー級王座に挑戦。1本目はミラノが体固め、2本目は大木が足4の字固め、3本目は大木が逆エビ固めで連取して2-1で大木が王
マリオ・ミラノの初来日は68年5月日本プロレスの「ゴールデン・シリーズ」でした。当時のプロレス人気の異常な高さを現していたのが、このシリーズの開幕戦、5月18日徳島市体育館大会の前日、5月17日の大阪府立体育会館が「第10回ワールド・リーグ戦」の優
翌77年に開催された「第5回チャンピオン・カーニバル」は、似たようなメンバーを集めたものの、面白さでは前年とかなり差がついたように思います。前年度優勝者のアブドーラ・ザ・ブッチャーは変わらずでしたが、ザ・バラクーダのところにスーパー・デストロ
76年全日本プロレス「第4回チャンピオン・カーニバル」第7週、シリーズ最終戦5月13日、川崎市体育館(観衆4,000人満員発表、5月15日関東地区は午後11時45分より放送)公式戦も終わり、この日のメインイベントはハーリー・レイスvsアブドーラ・ザ・ブッチャ
76年「第4回チャンピオン・カーニバル」第6週、公式戦最終日、76年5月8日札幌中島スポーツセンター大会(テレビ生中継、観衆4,000人発表)。2週連続の生中継でした。最終日を残して優勝の可能性があるのは1位17点、失点7のザ・バラクーダ。同点2位には1
「第4回チャンピオン・カーニバル」第5週、76年5月1日シリーズ天王山は日大講堂大会。(テレビ生中継、観衆7,500人発表)プロ野球が開幕すると放送時間帯が深夜に移行されてしまう為に生中継は減少を余儀なくされています。3月6日一関市体育文化会館大会
76年4月24日は徳島県鳴門市体育館(観衆3,000人発表)大会。ザ・バラクーダは公式戦で因縁のザ・デストロイヤーと対戦しました。両者は前75年1月4日、後楽園ホールで覆面世界一決定戦十番勝負第4戦で対戦していますが、この試合の1本目、この時点での日本
76年「第4回チャンピオン・カーニバル」、第3週は4月17日青森県八戸市体育館(観衆4,500人超満員発表、当日ディレイ放送、関東地区は午後11時45分より)大会。メインイベントは外国人ヒール頂上対決、アブドーラ・ザ・ブッチャーvsキング・イヤウケア。初来
プロレスのリーグ戦で面白さ、スペクタクルを形成する大きな要素として�〆�戦、最後の最後まで読めない優勝の行方。��番狂わせ、大物食い。�3�幕前には予想出来なかったダークホースの活躍。�い泙気�の選手が優勝。などがあります。これまでの日本プロレス界
1975年前半の全日本プロレスの首都圏でのビッグマッチのカードと観客動員は以下の通りでした。「新春シリーズ」最終戦1月29日(水)東京体育館、ジャイアント馬場vsハーリー・レイスPWFヘビー級選手権試合、ザ・デストロイヤーvsカリプス・ハリケーンPWF
マリオ・ミラノは75年1月「新春シリーズ」で全日本プロレスに初参戦。以降、マスクマン、素顔の両方で全日本プロレスのレギュラーとなりました。デストロイヤーとバラクーダの覆面世界一決定戦十番勝負第4戦(PWF認定USヘビー級選手権試合)は1月4日後
配信「昭和プロレス年史」1976年前編でも時間を割いて採り上げた全日本プロレス初の参加全選手総当たりとなった「第4回チャンピオン・カーニバル」。その中でもダークホースとしてまさかの公式戦最終日の5月8日札幌中島スポーツセンター大会まで17点で最多
81年3月6日、茨城県勝田市(ひたちなか市)総合体育館で「WWFビッグ・ファイト・シリーズ第1弾」が開幕。同シリーズにはキラー・カーン(小沢正志)が凱旋帰国。カーンは77年メキシコへ修行に出発。モンゴリアン・ギミックのテムヒン・エル・モンゴルとして
年末にMSG遠征を行った為81年の新日本プロレスは少し遅めの1月9日古河市立体育館から「新春黄金シリーズ」が開幕しました。このシリーズ初来日を果たしたのが前年夏にロサンゼルスに突如出現した債権取立人ジ・エンフォーサー。前シリーズに来日したオッ
80年は新日本プロレスが前年の躍進ぶりをさらに一層充実させた1年でした。前79年、モハメド・アリ戦で7億円とも9億円とも言われた負債を完済し資金が潤沢になった新日本プロレスはWWFとの業務提携をさらに密にし、これまで全日本プロレスと比べて見劣り
80年の国内日程を終えたアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳らは12月29日(現地時間)ニューヨーク・MSGのWWF定期戦に出場の為渡米。猪木はボビー・ダンカンとNWFヘビー級王座防衛戦を行い12分47秒、延髄斬りからのギロチンドロップによる体固めで破り
80年「闘魂シリーズ」が終わると年末は「MSGタッグ・リーグ戦」が開催された為、タイトル戦の開催はなし。北米タッグ王者チームの坂口征二&長州力組は解体され、坂口はストロング小林との元同王者コンビを復活。長州は凱旋帰国予定だったキラー・カーンと
80年もNWAとWWFの友好関係は続き、9月22日(現地時間)ニューヨーク・MSGの定期戦では全日本プロレス参戦から帰国したハーリー・レイスが出場。こちらも新日本プロレスに来日していたWWFヘビー級王者ボブ・バックランドとダブルタイトルマッチを行
80年8月22日品川プリンスホテル・ゴールドホールでブラディ・ファイト・シリーズが開幕。開幕戦からいきなりボブ・バックランドにアントニオ猪木が挑戦したWWFヘビー級選手権試合が組まれました。試合は20分31秒、両者場外転落したところスタン・ハンセン
豪華外国人メンバーが揃った80年の「第3回MSGシリーズ」ではWWF北米ヘビー級、北米タッグ両王座とも防衛戦の開催はありませんでした。6月5日蔵前国技館での優勝決定戦は決勝リーグ戦1位は35点のアントニオ猪木で、2位には32点でアンドレ・ザ・ジャ
80年2月27日蔵前国技館ではアントニオ猪木vsウィリー・ウイリアムスの格闘技世界一決定戦(WWF格闘技世界ヘビー級選手権試合)が行われています。プロレスと極真空手の世紀の果たし合いは殺伐とした異常な雰囲気で行われ2ラウンドに両者場外転落した際にウ