84年IWGP第22戦は6月4日岡山武道館(観衆2700人)。公式戦は藤波とマサ齋藤が対戦し(懸賞金100万円争奪)両者リングアウトの引き分け。藤波は28点、齋藤は15点。ビッグ・ジョン・クインはビッグ・ジョン・スタッドに不戦勝で8点。この「ビッグ・ジョン対
84年IWGP第17戦は5月29日千葉公園体育館(観衆3700人満員)。坂口副社長はビンス・マクマホン・シニアの葬儀に出席する為渡米しこの日から6月1日の高松大会まで欠場。ビンス・シニアの死去によりWWFとの提携も微妙なものになるのでは?とのマスコミの
84年5月27日、かねてより病気療養中だったWWF代表、キャピタル・レスリング・コーポレーション代表のビンス・マクマホン・シニア(ビンセント・ジェームス・マクマホン)が食道癌の為、入院先のフロリダ州フォートローダーデールの病院で亡くなりました。享
84年IWGP第13戦は5月24日大阪府立体育会館(テレビ収録、観衆9000人超満員)。メインイベントでは83年2月3日、札幌中島体育センター以来1年3か月ぶりの対戦となる正規軍vs維新軍頂上対決、猪木、藤波組vsマサ齋藤、長州組が実現しています。前週の5月
新間の退陣記者会見を受けて、前田日明はニューヨーク・MSGでのレネ・グレイとのWWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合の後、ハワイへ飛び、5月25日、現地で強化合宿の為に先乗りしていたラッシャー木村、剛竜馬、グラン浜田と合流。そこで前田達
日本プロレスリングコミッショナーの裁定により、新日本プロレスへの吸収合併の話が持ち上がったUWFですが、84年5月21日には団体の実質的創業者の新間寿会長が記者会見を行いました。新間は「猪木に(UWFに来るための)支度金として5000万円近い金を渡し
84年IWGP序盤戦のヤマ場となった第8戦の5月18日広島県立体育館(観衆8200人超満員、テレビ生中継)。メインは公式戦で猪木と長州が1か月ぶりの一騎討ち。前回の4月19日、蔵前国技館での5対5勝ち抜き戦の大将戦では猪木の卍固めの前に無念のレフェリー
84年5月11日、福岡スポーツセンターで行われた84IWGP開幕戦(テレビ生中継)は8300人(超満員)発表の大観衆を動員しました。日本勢、外国人勢とも前年を上回るメンバーが集結しましたが、今大会のテーマはただ1つ、猪木の1年越しのハルク・ホーガンへのリ
84年IWGP参加外国人メンバーの紹介です。カナダ代表アンドレ・ザ・ジャイアントは前年83年第4回MSGタッグ・リーグ戦以来5か月ぶりの来日。前回はベテランのスウェード・ハンセンと組んでのエントリーで公式戦は1位通過したものの、12月6日、大阪府
バーン・ガニアの持ち掛けた話は馬場にとっても願ったり叶ったりの話でした。馬場のNWA内での発言力、政治力を持ってすれば鶴田を日本で1週間のレンタル・チャンプにすること位は朝飯前、と考えるのが普通ですが、馬場にとっては日本人のNWA世界ヘビー
84年IWGPは5月11日、福岡スポーツセンターで開幕。リーグ戦参加選手は日本代表が猪木、藤波、マサ齋藤、長州の4人。カナダ代表がアンドレ・ザ・ジャイアント、マスクド・スーパースター。アメリカ代表がディック・マードック、アドリアン・アドニス、ビ
84年5月8日、新宿・京王プラザホテルにおいて新日本プロレスとUWFの両団体首脳が出席しての合同記者会見が行われています。新日本からは坂口副社長、テレビ朝日から出向の永里高平専務、UWFからは浦田昇社長と新間寿会長、さらに二階堂進日本プロレス
84年4月19日、蔵前国技館での新日本プロレスビッグ・ファイト・シリーズ第2弾最終戦で行われた正規軍vs維新軍5対5勝ち抜き戦は後半戦に突入しました。第5試合は正規軍中堅木村健吾と維新軍中堅谷津嘉章の一戦。初戦の藤波戦こそ僅か3分でエプロン・カウ
新日本プロレス84年ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾最終戦は4月19日、蔵前国技館で行われ12000人(超満員)発表の大観衆を動員しています。私はこちらの興行も会場観戦しております。2日前のUWFとは打って変わり明るいリング照明に明るい観客席。新日本
観客は9100人発表と満員マークはつかなかったUWF蔵前国技館大会ですが、実際は4、5000人程度の入りではなかったかと思います。また、この日新間会長は猪木についても言及し、「私は今日、このリングにアントニオ猪木が上がってくれると信じて待っていた。し
84年4月17日、UWF旗揚げオープニング・シリーズ最終戦、蔵前国技館大会が行われています。私はこの興行は観戦しに行きました。テレビ放送のない、テレビ用リング照明のない蔵前というものを見たのは後にも先にもこれ一度きりです。おそらく、これまでのテ
新日本プロレスビッグ・ファイト・シリーズ第2弾もいよいよ終盤戦に突入。4月13日には福山市体育館(テレビ生中継)では最終戦の4月19日蔵前国技館で5対5による柔道形式の勝ち抜き戦が決まっている正規軍と維新軍がメインでシリーズ最後の前哨戦。猪木、藤
84年4月11日、大宮スケートセンターで第3団体UWFが旗揚げオープニング・シリーズの開幕戦を開催しています。今は団体を誰でも簡単に旗揚げしており、法人登記していないプロモーションまで入れるともういくつあるのかわからない状況になっていますが、32
猪木の突然の馬場訪問に関しては様々な憶測が飛び交いました。勿論、両巨頭の口から会談の内容が明かされることはありません。当時はUWFの出土も明らかにされていませんでしたので、最も有力な説とされたのがUWFの旗揚げに際して全日本と新日本が手を組
UWFの旗揚げオープニング・シリーズに参加が発表された外国人選手のうちのアメリカ勢、ボブ・スウィータン、ダッチ・マンテル、スコット・ケーシー、ビニー・バレンチノの4選手は新間が馬場に頼んでブッキングを依頼したものでした。フジテレビが放映中止
84年3月30日後楽園ホールでのビッグ・ファイト・シリーズ開幕戦のメインイベントは珍しい維新軍と外国人組のタッグマッチ、長州、アニマル浜口組vsムハマド・カリム、エリージャー・アキム組のザンビア・エキスプレスの一戦。試合は維新軍が得意の連係で撹乱
84年3月30日、後楽園ホールで行われたビッグ・ファイト・シリーズ第2弾開幕戦は様々な出来事がありました。前シリーズ最終戦3月22日、尼崎市記念公園体育館で維新軍の襲撃に遭い肘を負傷した猪木は欠場。試合前に前シリーズを無断欠場、第3団体UWFへの
84年ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾は3月30日、後楽園ホールで開幕。マスクド・スーパースター、ドン・ムラコ、アイアン・マイク・シャープ、ムハマド・カリム&エリージャー・アキムのザンビア・エキスプレス、ヘラクレス・アヤラ、ブルース・ハートの外
84年3月22日、尼崎市記念公園体育館大会でのビッグ・ファイト・シリーズ第1弾最終戦(テレビ収録)は5200人(超満員)発表の観客を動員。加熱する正規軍と維新軍の抗争でメインイベントに組まれたのは猪木、藤波、藤原喜明組vs長州、アニマル浜口、谷津嘉章組と
84年3月21日、新日本プロレスは前年開館したこの時点での国内最大規模の室内多目的ホールである大阪城ホール(大阪城国際文化スポーツホール、最大収容人員16000人)へ初進出を果たしました。これまでは東京・北の丸にある日本武道館(同14214人)が最高でしたが
新日本プロレス84年ビッグ・ファイト・シリーズ第1弾、3月9日は古河市立体育館でのテレビ生中継。メインイベントは猪木のパートナーに藤原喜明が抜擢され、長州、アニマル浜口組の維新軍と激突。藤原が猪木と2人だけのタッグでテレビマッチのメインに出る
84年3月8日、フジテレビは4月11日から放送開始予定の「スポーツ・スクランブル」内でのプロレス中継を断念することを発表しました。当初、新間寿から持ち込まれた企画書によれば、猪木、長州、タイガーマスク、前田日明らの参加が予定されており、外国人選
84年2月10日に初のセントルイス侵攻を果たしたWWFは1か月も経たない3月2日に再びキール・オーデトリアムで2回目の興行を開催しています。第1弾は11000人の観客を集めましたが、今回はスパンが短かったこともあって観客発表は8465人。ケーブルテレビ
ハルク・ホーガンvsポール・オーンドーフのWWF世界ヘビー級戦、アンドレ・ザ・ジャイアントvsマスクド・スーパースターの2大決戦が行われた84年2月20日、ニューヨーク・MSGの定期戦に退職した新間に代わって新日本プロレスの渉外担当となった坂口副社
前田日明、ラッシャー木村、剛竜馬の無断欠場という波乱のスタートを切った新日本プロレス84年ビッグ・ファイト・シリーズ第1弾。もちろん、猪木が新団体設立に向けて動いていたことなど、ファン、関係者はもとより、新日本の選手、幹部、社員も知らされてお