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日記一覧

76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」(正式名称には「アジア・リーグ戦チャンピオン決定シリーズ」)は7月9日後楽園ホールで開幕。2月16日に記者会見を行った通りで新設されたアジア・ヘビー級、アジア・タッグの両初代王者の座を巡り、トーナメントとリ

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76年3月19日午後2時から代官山の日本プロレス(残務処理中)事務所で芳の里社長が記者会見を行い、日本プロレスの事務所の金庫に眠っていたアジア・ヘビー級とアジア・タッグの両王座をNWAの認可を受けて復活させたことを発表しました。以下、芳の里社長が

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76年新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ」開幕戦の4日前となる2月16日にアントニオ猪木代表と新間寿営業本部長が港区南青山の事務所で記者会見を行い、力道山時代の55年11月以来、実に21年ぶりに「アジア・リーグ戦」(アジア選手権大会)の開催を実

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76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」、全日本プロレスとの興行戦争ですが、川崎市体育館が新日本プロレスは4月2日の開幕戦、全日本プロレスは逆に5月13日の最終戦を持って来ました。6週間差がありますが、同じシリーズ内なので比較しておきた

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76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」第5位は9勝(1不戦勝)4敗、マサ齋藤。負けは優勝した坂口征二、ペドロ・モラレス、ビクター・リベラ、ストロング小林の4人で前75年の第2回大会はフォール負けだった坂口、S小林にはリングアウト負けと、

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76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」は坂口征二の初優勝で幕を閉じましたが、優勝決定戦の行われた5月11日の東京体育館は5,200人発表と動員は振るわず。5月11日はGW明けの火曜日になりますが、当時はまだプロレスの東京のビッグマッチは全日

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76年「第3回ワールド・リーグ戦」第31戦、5月10日仙台・宮城県スポーツセンター(観衆3,500人発表)大会で翌5月11日東京体育館での優勝決定戦出場者を決める巴戦(先に2勝した選手の勝ち)が行われ、10勝3敗で同点2位となった坂口征二、キラー・カール・ク

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76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」第29戦、5月7日香川県高松市民文化センター(テレビ生中継、観衆3,200人満員発表)大会。ここで優勝の行方を大きく左右する事件が…。番組の冒頭、セミ前のアントニオ猪木&星野勘太郎組とビクター・リベラ&

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76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」終盤戦の激闘の模様です。第25戦、5月1日熊本市体育館(観衆4,000人超満員発表)大会、セミファイナルの公式戦でストロング小林とペドロ・モラレスが対戦し、11分49秒、回転エビ固めでモラレスがフォール勝ち

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76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」後半戦、5月11日東京体育館での優勝決定戦進出を賭けて連日激しい星の潰し合いが展開されています。第19戦、4月24日愛媛県川之江市(現在の四国中央市)体育館(観衆1,200人発表)大会。前日23日岡山武道館で決

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76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」第14戦、4月17日三重県津市体育館(観衆3,500人超満員発表)大会。メインイベントではストロング小林とマサ齋藤とタッグを結成しビクター・リベラ&ラウル・マタ組と対戦(60分3本勝負)。1本目は10分28秒、マ

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76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」第8戦は4月10日千葉県市原市臨海体育館(観衆2,500人満員発表)大会。公式戦は坂口征二とビクター・リベラが対戦し8分52秒、片エビ固めで坂口が勝って初白星。山本小鉄と木戸修の公式戦は12分40秒、アーム・

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76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」開幕戦、4月2日、神奈川県川崎市体育館(テレビ生中継、観衆3,400人満員発表)大会。メインイベントはアントニオ猪木とペドロ・モラレスがタッグマッチで初対決、猪木&マサ齋藤組とモラレス&ビクター・リベ

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76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」参加外国人レスラーの中で面白いと思ったのがケン・マンテル。マンテルは75年12月6日〜18日まで開催されていた全日本プロレス「オープン選手権」に参加したばかりで帰国してからまだ3か月ちょっとしか経って

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76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」参加選手プロフィールの続きです。「黒い核弾頭」ビクター・リベラは73年9〜10月の「闘魂シリーズ」以来2年半ぶりの来日。1944年プエルトリコ・サン・ホセ出身、少年時代の54年に一家でアメリカのニューヨー

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76年新日本プロレス春の祭典「第3回ワールド・リーグ戦」は4月2日、神奈川県川崎市体育館で開幕。ペドロ・モラレス、キラー・カール・クラップ、ビクター・リベラ、タワーリング・インフェルノ(スーパー・デストロイヤー、ネイル・グアイ)、ブッチャー・バ

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元国際プロレスのエースであり、団体の看板タイトルであるIWA世界ヘビー級王座を転落する(誰かに負けてベルトを置いていく)ことなくフリーとなったストロング小林を2度に亘って破り、73年4月に興行活動を休止した日本プロレスの最後のエースであり且つ認

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前回の74年12月12日、新日本プロレス蔵前国技館でのアントニオ猪木vsストロング小林のNWF世界ヘビー級選手権試合、勝者猪木インタビューの続きです。小林を返り討ちにして意気上がる猪木はついに馬場への内容証明郵便による挑戦状を送付すると発表。ー「し

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74年12月12日新日本プロレス蔵前国技館で行われたアントニオ猪木vsストロング小林のNWF世界ヘビー級選手権試合、勝って8度目の同王座防衛に成功した猪木との一問一答形式インタビューです。ー「小林は3月の時に比べてどうだったですか?」猪木「うーん…

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74年12月12日新日本プロレス蔵前国技館大会、アントニオ猪木vsストロング小林のNWF世界ヘビー級選手権試合、10分過ぎの攻防からです。猪木は小林の両足をダブル・レッグロックに畳んでから足を差し入れての得意のリバース・インディアン・デスロックからブ

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74年12月12日新日本プロレス蔵前国技館大会、メインイベント、アントニオ猪木にストロング小林が挑戦したNWF世界ヘビー級選手権試合。試合開始直後の猪木のドロップキック連発、ボディスラムからのフォールで小林は右足をサードロープに掛けていたにも関わ

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ジャイアント馬場のNWA世界ヘビー級王座獲得の「快挙」はアントニオ猪木と新日本プロレスが大物外国人が呼べず、日本人対決でお茶を濁しているという印象操作を与えるには十分の効果があったか、といえば実はあまりそうでもなく、やはり猪木とストロング小

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74年9月28日に、豊登、芳の里、ユセフ・トルコ、九州山ら日本プロレスOBから、「アントニオ猪木vs大木金太郎、猪木vsストロング小林の再戦の勝者と馬場は闘うべき。」と声明文を突きつけられ、さらに猪木には「小林との再戦に勝ったらある重大発表をする。

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「別冊ゴング」74年12月号より、ストロング小林との再戦が決まったアントニオ猪木へのロングインタビューの続きです。(聞き手・竹内宏介編集長)竹内「猪木さん自信は小林をどう評価していますか?特に最近、悪党になったと言われている小林について。」猪木「

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アントニオ猪木への再挑戦が決まったストロング小林ですが、帰国前に「別冊ゴング」74年12月号で国際電話での独占インタビューに答え、再戦へ向けて怪気炎を上げています。このインタビューは非常に興味深い内容になっていますので抜粋して引用してみたいと思

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ストロング小林のWWWF地区武者修行後半戦振り返りです。(海外の日付は全て現地時間)74年9月25日メーン州バンゴーで対戦して勝ったアーノルド・スコーランは力道山時代の62年日本プロレスの「第4回ワールド・リーグ戦」にルー・テーズ、フレッド・ブラッ

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(前回より続く)竹内宏介「そろそろ時間も遅くなって来たので最後の本題に入ろうと思いますが、今でも猪木選手への『再挑戦』への意思に変わりはない?」ストロング小林「もちろんです。何の為に僕がアメリカで血みどろの努力を続けているのか?その答えは『打

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アントニオ猪木に敗れたストロング小林は「アメリカに行って鍛え直して、もう一度猪木さんに挑戦する」と表明、74年5月29日にアメリカ武者修行に出発しました。小林はまずフロリダに行き、マスクマンのコリアン・アサシンに変身し、パク・ソンナン(朴松男)と

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74年3月19日、新日本プロレス蔵前国技館大会、NWF世界ヘビー級選手権試合、アントニオ猪木vsストロング小林の一戦は壮絶な流血戦、激闘の末に29分30秒、ジャーマン・スープレックスホールドで猪木がフォール勝ち、王座初防衛に成功しています。勝敗が決し

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74年3月19日新日本プロレス蔵前国技館大会、ダブル・メインイベント第2試合、国際プロレスを離脱したストロング小林がアントニオ猪木のNWF世界ヘビー級王座に挑戦した世紀の大一番。試合開始から15分、得意のベアハッグで猪木を揺さぶり、背骨を痛めつけ

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